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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [208]

名利

「名利」
泉  惠機(いずみ しげき)(助教授 仏教と人権)

 一般に「名利の巷」などと言われるが、文字の通り「名誉」と「利益」であり、それを求めることも含まれるようだ。仏教では「名聞利養」を略した語として用いられることが多い。いわば名声を求める心と利を得て我が身をこやそうと貪り求める心である。源信が「出離の最後の怨は、名利より大なる者は莫(な)きこと」(『往生要集』巻下本)と言っているが、名誉や財産を求め、貪るこころを超えることは求道の最後の難関であるとされてきた。
 いや、「されてきた」というのは些か無責任な言い方になるだろう。親鸞は『唯信鈔文意』で「よ〔世〕をす〔捨〕つるも、名のこゝろ、利のこゝろをさきとするゆへなり」( 『真宗聖教全書 二』 )と、当時においてすでに、出家する(世を捨てる)ことさえ名利の心を優先する結果の行爲であると述べている。
 『歎異抄』には「あやまって、学問して、名聞利養のおもいに住するひと」と言っているが、学問もまた「名利」のために利用されてきたと指摘されるとまた頷かざるを得ない。
 現在においても、住職は定年も無いし、食いっぱぐれもないとの思いで僧侶の道を選ぶ者が無いとは言え ないし、学問的真理ではなく利養を求めて論文を書く者がいないとも言い切れないであろう。
 さらには、人間はもっともっと複雑に邪心をもつことが出来るから、自分の「名利」のために、このような源信や親鸞の言葉を用いて他に痛棒を喰らわそうともする。あるいは、これらの自己凝視に満ちた言葉を借りて、オノレがいかにも自己を問うているかのごとき擬態をたくらむこともある。
 親鸞の言葉はしかし、自己に向かう言葉である。つまり、彼にとって「名利」というような言葉は、客観的にこの言葉はこれこれの意味だよ、というようなスタンスでは吐けない言葉であったということである。
 だから、彼は「是非しらず邪正もわかぬ このみ〔身〕なり 小慈小悲もなけれども 名利に人師をこのむなり」(『正像末和讃』)と言い、「悲しきかな、愚禿鸞〔親鸞〕、愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑し…恥ずべし、傷むべし」(『教行信証』信巻)という。
 他への批判に満ちた今日、ことに、このような「悲嘆」、「歎異」の言葉が待たれているのでないか。

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