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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [207]

阿吽

「阿吽」
木村 宣彰(きむら せんしょう)(教授 仏教学)

 向田邦子の小説に『あ・うん』という作品がある。つつましい暮らしぶりの水田仙吉と羽振りのいい中小企業主の門倉修造との友情を描いている。二人の気持ちがピタッと一致し、まるで神社の鳥居に並んだ一対の狛犬のように親密なものであった。作者は狛犬について「同じように見えるが口の形が違う。一頭は阿であり、一頭はである」と説明している。そこで「あ・うん」を漢字で記せば「阿吽」または「阿」となる。
 狛犬の阿吽だけではなく、寺院の仁王門に立って仏法を守護する金剛力士の像も、向かって右が口を開き「阿形」を、他方は口を閉じて「吽形」を示している。
 そもそも阿吽は、仏教とともに日本に伝えられた梵字の「a(ア)」と「hum(フーン)」とを漢字で音写したものである。「阿」は口を開いて発音し、「吽」は口を閉じて発する音声であるが、その意味については種々に解釈される。
 仏典には「阿吽の二字、出入の息風」(『悉曇三密鈔』)と説いている。これが歌舞伎十八番『勧進帳』では、

富樫「出る入る息は」
弁慶「阿吽の二字」
の名問答となる。阿は吐く息、吽は吸う息である。併せて「阿吽の呼吸」という。やがて相撲の仕切りなど、何かを一緒に行うときに互いに微妙なタイミングやリズムが合うことを言い表す言葉となる。
 この阿吽が梵字(悉曇)の配列では、最初の字と最後の字とされる。そこで物事の始まりと終わりとを意味する。密教では、一切万有の発生する根源と、その帰着する究極を象徴する。阿字・吽字に重大な意味を認め、阿は悟りを求める菩提心を、吽はその結果としての涅槃を意味するものと解される。
 このように阿吽は、相対する二つのもの、一対のものを表現する語として様々に解釈されるが、要するに物事の始めと終わりと解してよい。
 そこで年の初めにあたり、一年後の自分の姿を想うのもまた一興であろう。いや、それよりも、只(ただ)今の一瞬にいのちの尊さを観じたい。出る息は入る息を待たない、というではないか。

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