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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [201]

殺生

「殺生」
泉 惠機(いずみ しげき)(助教授 仏教と人権)

 あらゆる命あるものの「命を奪う」ことを「殺生」といい、仏教の戒律の中では最大の罪として、最も強く禁じてきた。また同時に仏教は、人間が生きる為には、他のもののいのちをもらわなければ生きていけないという自覚に立って、この最大の罪を人間の根本的な問題としても考えてきている。
 親鸞は「殺生」が最大の罪とされていることを、「殺し続けて生きる」、いや、「殺さなくては生きられない」<人間の事実>をほとけが知らせんとするものだ、と理解する。すなわちそれは、「殺生」を「最大の罪」として示すことによって、我々にいのちに対する「かなしみ」や「いたみ」の感覚を要求し、<人間の事実>への目覚めを促すのだと解釈する。
 ところが、現在私たちは「命を奪っている」ことを実感しているだろうか。たとえば、牛肉を食べても牛の命を感覚することはないし、野菜ともなると全くといっていいほど命を感じることはないが命を奪っていることに違いは無い。このように、命を奪わなければ生きられない<人間の事実>に無感覚であることが今最も大きな問題ではないか。
 また、「戦争」こそ最大の「殺生」であるが、私たちはこのことをリアルに感じ取れなくなっている。子供を殺された母親の泣き叫ぶ姿がテレビにうつし出されても、「大量破壊兵器から世界を守る」とか、「独裁から解放する」などという言葉を聞くと、この戦争には正当な理由があるという思いにとらわれ、無感覚になってしまう。
 いかに正当な理由を謳おうと、戦争が殺し合いであることに変わりはなく、正当化できるものではない。にも関わらず、そのとらわれが「命を奪いあう」という事実を見えなくさせ、我々の「いのち」への感覚を鈍らせてしまっているようである。
 「いのち」への感覚の鈍化は我々一人一人が「お互いのいのちのつながり」を見失ってしまっていることによるのではないか。<人間の事実>を再確認し、いのちへの「かなしみ」や「いたみ」の感覚の重要さを認識し、今一度いのちに無感覚な世界を問い直してみてはどうだろう。

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