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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [200]

演説

「演説」
佐々木 令信(ささき れいしん)(教授 平安貴族の世界・日本仏教史学)

 演説というと、まず思い浮かぶのが、選挙演説であろうか。自分の主義・主張を大衆に向かって説き聞かせることが、現在使われている演説の意味であるが、最近、強烈な印象を与えられたり、名演説といわれるようなものを聞く機会がほとんどない、というのが本当のところではないだろうか。
 演説とは、サンスクリット語のニルデーシャの訳で、仏の教えを説くことを意味する。自分の主義・主張ではなく、仏の真実の法があり、それを説きしめすことが本来の仏教における演説の意味であった。『雑阿含経(ぞうあごんきょう)』巻第十二に「然れば彼の如来が世に出づるも及び未だ世に出でざるも法界(ほっかい)は常住なり。彼の如来は自ら此の法を覚(さと)って等正覚(とうしょうがく)を成じ、諸の衆生の為に、分別し演説し開発し顕示したまふ」といっているごとくである。
 また、九八四年に源為憲により著わされた仏教説話集『三宝絵詞』下には、「諸仏の国土も又々かくの如しといふ。これよりはじめて互いにふかく妙法を演説し、諸の善事等をあらはししめす。」と記されているのである。
 ところで、福沢諭吉は『学問のすゝめ』で、「演説とは英語にて『スピイチ』と云ひ、大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思ふ所を人に伝うるの法なり」と述べている。明治以降、西洋思想の影響のなかで、演説は、自己の主義・主張を述べる「スピーチ」としての内容をもつ言葉となっていった。
 新しい時代が模索される時には、来るべき時代像を、どのような立場からであれ熱く語るならば、そこに名演説が生まれる。明治の初期、あるいは戦後などの時代の過渡期は「演説」の時代だったともいえる。
 現在、演説というようなハードな言説が流行らず、社会に受け入れられていない。それは、新しい時代像が見当たらないことや、真実なるものを堂々と主張することが受け入れられないからだ。
 まさに空虚で、ある意味で危険な時代であることと表裏な関係ではないだろうか。あらためて演説のもつ意味を問いなおしてみたい。

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