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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [189]

伽羅

「伽羅」
佐々木 令信(ささき れいしん)(教授 平安貴族の世界・日本仏教史学)

 伽羅は、沈香の香木の芯から精製する、樹脂分の多い、良質の香である。香木の意のサンスクリット語tagaraの音写「多伽羅」の略とする説と、黒沈香を意味するkalaguruの音略とする二つの説がある。インドでは、仏を供養する荘厳のために香を焚いたり、身体に香粉を塗ったりし、また薬剤としても用いられた。出家者の戒律を定めた『四分律』にも、身体に塗る薬剤の一つとして伽羅がみえている。
 平安時代には、種々の香木を粉にひいて蜜で練り合わせたものを焚く薫物(たきもの)が盛んに行なわれ、室町・戦国時代になると、香木による聞香(もんこう)が盛んになり、香木自体の素材の貴重さが強く意識されてくる。正倉院御物の蘭奢待(らんじゃたい)は伽羅であるが、足利義政・織田信長・明治天皇など時の権力者が切りとったことで有名である。そして、江戸時代になると日常的な言葉の中に「伽羅」がはいりこんでくるようになる。
 いいもの、すてきなものの形容として使われ、「伽羅女(きゃらめ)」は美しい女性を、「伽羅の春」はめでたい新春をあらわした。月とすっぽんのことを「伽羅と薩摩芋」とか「伽羅と大食」といい、また、貴重で高価なものであることから、江戸の遊里では金銭の隠語としてつかわれた。日常の世界から遊びの世界にふみこむときには、銭は伽羅に姿を変える。江戸の町人の粋な文化の中に伽羅は溶け込んでいた。
 現在、伽羅という言葉を使って誰もが知っているものといえば、「伽羅蕗(きゃらぶき)」ぐらいだろうか。蕗を伽羅色(濃い茶色)に煮たものであることからそうよばれる。それにしても、私たちの日常から「伽羅」という言葉は、ほとんど消えていってしまった。どうしてだろう。「無臭」が清潔であることと等しい価値をもつ現在、「匂い」「香り」にまつわる文化までもが、私たちのまわりから臭(にお)いとともに消えようとしているのだろうか。そして、残されたものが、「食べる」ことに関わる言葉だけ。「伽羅」という言葉の盛衰は、今の私たちの文化を透かしてみせているのではないだろうか。

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