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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [184]

正真正銘

「正真正銘」
樋口 章信(ひぐち しょうしん)(助教授・真宗学)

 偽りや嘘のないことを強調するのに「正真正銘」という表現がある。日常何気なく使われている表現の中に、意外と知られていない過去の宗教的伝統の蓄積があるのだ。実はこの言い方は「正真」という仏教語から来ている。「正銘」は正しい銘が刻まれたという意味である。紀元三世紀頃に中国で仏典の翻訳を行った竺法護(じくほうご)というインドの僧侶がいた。彼は『正法華経』を訳出し、その中でブッダ(釈)の正しい覚りを「無上正真道」と訳した。正真という言葉はまさにそこに出現する。
 正真はブッダ(釈)の智慧であり、知見である。 ブッダの覚りの内容をニルヴァーナ(涅槃)ともいう。ブッダの覚りを求め、過去多くの人々が修行をおこなってきた。今でも世界中各国で様々な人たちが日々修行を実践しておられる。煩悩の炎を焼き尽くして完成された智恵の状態であるニルヴァーナは人生の最高目的である。ブッダはそれを実現できた希有な人物であった。
 現(うつつ)の世と言われるこの人間の世界で正真の道を歩むためには、具体的にどのようなことが期待されるのか。実際、私たち人間の眼(まなこ)は煩悩に覆われていて正確に物事を観察することができない。しかしメガネ(眼)の汚れは落とさなければならない。自分でメガネの汚れを拭いて物を見ようというのが世の倫理道徳である。
 しかし煩悩の炎に焼かれている姿をこの私自身がどのように見ることができるだろうか。自覚を促すものは自分ではあり得ない。目覚めを勧めるものは厳然として他者であり、さらにまた日々の出来事のなかで私と関係を取り結んでいる人々である。そのような他者の眼差しに私たちは無頓着である。他者との関係が見えているようで実は見えていないことの方が多いのだ。
 変転極まりない人生のなかで、出来事の本来の意味を知らせてくれる存在は貴重である。人によっては、出逢い難くして逢い得た無上の師をもつ方もおられよう。周囲の人々と自己との関係をたしかめながら出逢いの意味を問い直してみたいものだ。

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