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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [169]

天眼

「天眼」
一楽  真(いちらく まこと)(助教授・真宗学)

 今でも街角で、大きな天眼鏡(てんがんきょう)をもって人相占いをしている人を見かけることがある。ただ、天眼鏡という言葉は、もうあまり使われないのかもしれない。若い人には、虫めがねの大きいやつとでも言わなければ、きっと通じないに違いない。
 この天眼という言葉、実は仏教の天眼(てんげん)が元になっている。普通、物を見ると言えば、眼で見ることを指す。ところが、眼で見る以上のことが見える場合、肉眼と区別して特に天眼と呼ぶのである。
 たとえば、音楽の心得のある人にとっては、楽譜は単なる記号ではない。楽譜を見れば、音楽が聞こえてくるそうである。これも天眼の一つと言えよう。無論、音楽に通じたからといって何でも見通せるわけではない。いくら天眼鏡を手にしてみても、人間についてのすべてを見抜けないのと同様である。
 『観無量寿経』という経典では、我が子との関係の中で苦悩する韋提希に対して、釈尊は次のように語っている。「汝はこれ凡夫なり。いまだ天眼を得ず、遠く観ることあたわず」と。ここには自分の身の回りにとらわれて、広い世界を見渡せない人間の在り方が言い当てられている。また、目先のことに心を奪われ、未来のことを見通せない生き方が押さえられている。
 ひるがえって現代はどうであろう。科学技術の発達により、人間は自分たちが何でもできるかのように思い上がっているのではなかろうか。言わば、何でも見通すことができる天眼を手に入れたつもりになっているのである。しかし、発達という名のもとに、これまで地上に存在しなかった問題を、人間自身が生み出し続けているのも事実である。将来にわたって何が大切であるかを本当に見通すことができているとは、とても言えない。
 私たちに必要なのは、自分がいかに狭い範囲しか見えていないかを、はっきりと知ることである。人間中心の傲慢な生き方を越えていく道は、そこにしかない。

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