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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [156]

慈悲

「慈悲」
小川 一乗(おがわ いちじょう)(教授・仏教学)

 私たちが日ごろ使っている仏教語に「慈悲」があるが、最近、特に気になる使われ方をしている。というのは、現代医学の本質を露呈している脳死による臓器移植が社会を賑わしているが、そこで臓器を提供することは慈悲行であるという人がいることである。
 多分その場合は、慈悲を「困った人がいれば助ける」というヒューマニズムとか人情と同じ意味で使っているのであろう 。さすがにボランティア活動を慈悲行と言う人はいないようであるが、臓器の提供が慈悲行といわれたりするのは、仏教におけるジャータカ物語がイメージされているからであろう。ジャータカ物語とは、釈尊の本生譚(過去世物語)である。釈尊がさとりを開いて仏陀と成ったのは、過去世において自らのいのちを投げ出して他のいのち(人間よりも動物などのいのち)を助ける善行を行ったからであるという物語である。法隆寺の釈迦三尊の厨子に描かれている「捨身飼虎」(飢えた虎に体を差し出す)の物語はその一つである。しかし、このジャータカ物語はすべて、死後ではなく生きているいのちを与えているのであって、脳死による臓器提供には重ならない。しかも、さとりを実現したことの原因として説かれているのであり、捨身はさとりと連なっている。脳死による臓器提供はさとりに連なっていない。単なる善意でしかない。
 そもそも慈悲とは、慈は「楽を与え」、悲は「苦を抜く」という意味であるが、その場合の楽とか苦は、私たちにとって都合のよいのが楽であり、都合の悪いのが苦であるというレベルのものではない。私たちの都合を実現するのが慈悲ではなく、さとりの智慧を実現するのが慈悲である。仏教によって明らかにされたいのちの真実への目覚めを促すのが慈悲である。従って、「楽を与え・苦を抜く」というのは、さとりの智慧の世界、「無有衆苦 但受諸楽(すべての苦が滅して、ただ楽のみがある世界)」の実現である。さとりの仏陀から言えば、私たちにさとりを促して止まない働きが慈悲である。

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