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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [151]

成道

「成道」
藤田 昭彦(ふじた あきひこ)(教授・心理学)

 幼稚園の中ではいつもどこかで、子どもたちによる道づくりという開発工事が行われている。
 朝一番にやってきて、部屋の隅から大型積み木を並べ、高低やカーブを付けながら、道を造る子どもがいる。後からやってきた子どもたちは毎日バラエティーのあるその道を渡り歩くのである。時には同じ部屋で電車の線路を敷く子どもとぶつかることもあるが、お互いに話し合いながら、跨線橋(こせんきょう)を共同で作ることで、うまく立体交差させている。
 園庭でも道づくりが進んでいる。砂が盛られることが多いのだが、今日は小さな如雨露(じょうろ)で水を運びながら、くねくねとした道を描いていた。コンクリートの通路にまで延長された道は水浸しになってしまったので、よけいなことだが、滑って転ばないように注意しておいた。
 子どもたちは毎日、いろんな道を造成しながら、心の中の思いを外に表現している。表現手段は様々であり、できあがるものは大人から見ればとりとめのないことであっても、そうすることで子ども自身が歩む道を心の内に開発している。いま外の道は成ったが、内なる道はまさに開発途上なのである。
 仏教で「成道(じょうどう)」とは、さとりを開き、仏となることである。そして「開発(かいほつ)」は他人をさとらせること、またその人をさす。釈尊が菩提樹のもとで自ら真理をさとり、覚者となられたことを祝うのが十二月八日に行われる成道会(じょうどうえ)である。誕生会(たんじょうえ)、涅槃会(ねはんえ)とともに仏教の三大会の一つに数えられる大事な法事である。
 道路建設事業を核にした国土開発は大きな経済効果をもたらすものと期待されたが、かえって開発を巡る強欲な思惑が最悪の経済不況をもたらしたとされる。いま不況に対処するために、有能な人材開発や有望な事業開発にあくせくしなければならないのである。
 でも、幼児の教育は目先の才能開発ではなく、子ども自身が未来に生きる力を発達させることを心がけるべきである。誰かが敷いた道は子どもがさとる道ではないであろう。

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