生活の中の仏教用語 - [140]
「三蔵法師」
佐藤 義寛(さとう よしひろ)(助教授・中国文学)
孫悟空を主人公とする『西遊記』は、テレビドラマやマンガになるほど日本人にもなじみの深い物語であるが、この『西遊記』に登場する三蔵法師、この「三蔵」というのを、僧侶の名前だろうと思っている方がおられるかもしれないが、これは決して固有名詞などではない。歴史上、三蔵法師は決して『西遊記』の三蔵一人ではない。
そもそも「蔵」とは、サンスクリット語の「ピタカ」の漢訳語で、仏教に関する様々な文献の「集大成」を意味する。「三」というのは、それらの文献を「経・律・論」の三種に分類したものを言う。そしてこの「経律論」の三蔵を翻訳した高僧のことを三蔵法師と呼ぶのである。
その三蔵法師の中で最も著名な、そして『西遊記』のモデルともなった玄奘(げんじょう)は、唐の貞観三年(六二九)冬に長安を出発し、西域の諸国を巡って印度にまで至り、多くの仏像や教典を携えて長安に戻り、その後多くの訳経を行ったと伝えられている。
当初、玄奘は何人かの同志と印度への歴遊を望んだが、当時の唐王朝はこれを許さなかった。仲間たちが一人二人と去るなか、当時二十八歳の若き玄奘は、ただ一人禁令を犯してまで印度へ向かったのである。過酷な自然を乗り切る肉体的な強さは言うまでもないことだが、むしろそこまで玄奘を駆り立てた「求法の思い」と強靭な精神力にこそ、われわれは驚嘆を感ぜずにはいられない。
そして彼がもたらし、訳出した数々の典籍、それこそはとりもなおさず「三蔵」であったのだが、この玄奘の訳出した「三蔵」こそは、後の人々の求法の道しるべともなったのである。現在も玄奘の訳出した「三蔵」の多くは、大蔵経などによってわれわれも眼にすることができる。言ってみるなら「三蔵法師」という呼び名は、単なる訳経僧にではなく、自らも求法の精神に溢れ、人々にもその依るべき手がかりを示した玄奘にこそ最もふさわしいものであろう。そう考えると「三蔵法師=玄奘」と、人々が思うのも納得できよう。
玄奘とそして「三蔵」の典籍に込められた求法の精神は、ぜひ後世へと受け継いでゆきたいものである。