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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [094]

後生

「後生」
大内 文雄(おおうち ふみお)(教授・東洋史学)

 後生とは、後生・来世ともいい、死後の生をいう。後生の一大事と書けば、それは極楽浄土への往生を願い、生前一心に念仏につとめることを指すが、いささか手垢にまみれてくると、どうでもよいものを後生大事に抱えこむとか、後生ですからお赫しを、と身を卑(ひく)くして頼みこむ風に使われる。
 ところで、中国の建康(今の南京)に都をおいた東晋と、それに続く南朝宋の、いずれも亡国の君主となった恭帝と順帝には奇しくも、後生——死後の生についての逸話が伝えられている。
 東晋の恭帝はその最後の日々、後に南朝宋の建国者武帝となる劉裕に毒殺されるのを恐れ、皇后と共に一室にこもって自ら煮炊きしたと伝えられている。そうしたある日、劉裕の意を承けた兵士に踏みこまれ、毒をあおることを強要された恭帝は、「仏は、自らを殺す者は復(ま)た人身を得ずと教う」といい、頑として飲もうとしなかったため、兵士達によって窒息死させられたというのである。そうして建国された南朝宋も最後の皇帝順帝は、次の王朝を開いた蕭道成の意を承けた部下によって、別の場所に移送される際、「願わくは、後身、世世に復(ま)た天王の家に生まるることなからんことを」との言葉を泣きつつ口にしたという。この時、順帝13歳であった。
 右の二つの話はどれも五世紀のことである。それより前、四世紀の半ばを生きた東晋・袁宏の『後漢紀』には、仏教の教義内容が知られ始めた頃の後漢代知識人が受けた衝撃を、「王公大人、死生報応の際を観て、矍然(かくぜん)として自失せざるはなし」と表現している。何に驚き、范然自失の態となったかといえば、過去・現在・未来の長大な三世の存在と、それを貫く因果応報の説——肉体が滅んでも精神は滅びず、肉体もまた善因楽果、悪因苦果の報応を受けて生まれ変わり死に変わりして転変する、生死の輪廻に対してであった。
 もとより当時においても、仏教はそのような輪廻の束縛からの超出を説いたに違いないが、しかし、実際の信仰は、人間としての後生を願うものであったことを、上記の説話は示している。

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