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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [084]

ルンビニー

「ルンビニー」
佐賀枝 夏文(さがえ なつふみ)(助教授・社会福祉学)

 民間の経営する幼稚園、保育園の名称をみてみると、それぞれの設立や実践にたいする願いなどの由緒をたどることができる。そのなかにルンビニーというものがある。幼稚園や保育園にルンビニーを名づけているのは、ブッダ(仏陀)誕生の聖地に由来しているからである。この言葉は古代インド語のサンスクリット語の Lumbinから音を写して藍昆尼やルンビニーとしてつかわれている。この名称にこめられた願いはただ単に、ブッダ誕生の聖地であることと幼児教育を重ねただけのことではない。そこに仏教の教えに人生を学ぼうとする仏教保育の真髄をたどることができる。
 幼児教育界では『幼稚園教育要領』や『保育所保育指針』が改訂されて、新しい時代を迎えようとしている。これは過熱した知育偏重の反省にたって、「ひと」の土台づくりの大切さを文部省も厚生省も同じようにうちだしたものである。幼児期は遊びをとおして対人関係を学ぶこと、友だちとお互いの個性をみとめあって育つことは大切なことである。しかし土台がしっかりすれば、のちの学校教育に耐えられる、という考えは賛成しかねる。
  「おとな」たちがつくった文化は多くの人生の難問をあたかも解決したかにみえる。しかし生老病死を「こども」たちの生活の場から、遠ざけて見えなくし、さらにこどもたちを人生の「迷子」としているのではないだろうか。
 ブッダの八〇歳の最後の旅は、王舎城を発ち終焉の地となったクシナガラまで二百キロにおよぶものであった。クシナガラはそこからカンダキ川のはるか彼方に誕生の地ルンビニーを望むところであった。そのブッダの生涯は、避けることのできない生老病死の悲しさ悩みを本流とした求道の歩みであった。
 現代の社会は親を中心にして人生の「迷子」をつくりだしているようにしかみえない。
 その警鐘を鳴らししつつ、生老病死の人生へひたむきに果敢に挑戦する「ひと」づくりが仏教保育の実践園でおこなわれている。

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