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生活の中の仏教用語

生活の中の仏教用語 - [078]

無尽蔵

「無尽蔵」
佐賀枝 夏文(さがえ なつふみ)(助教授・社会福祉学)

 仏教というのは、まさにそれ自体尽きることのない無限の功徳であるから、そのことを尽きることのない財宝の蔵に比喩して表した言葉である。
 また、寺院に布施されたものを、必要に応じて低利で貸し出した金融機構や中国の寺院が飢饉の際の貧民救済を目的に、布施されたものを蓄えた蔵の呼称であった。   
 貧民救済の役割を果たした無尽蔵は仏教福祉のひとつの源流としてみることができる。また、現代の社会福祉の基本的な「しくみ」と類似していることも興味がある。無尽蔵と社会福祉の「しくみ」の類似点をあげると、無尽蔵は布施を蓄え、それを必要に応じて分配し、社会福祉は税金を蓄え、それを必要に応じて社会福祉サービスとして分配をする点にある。社会福祉は分配を行う方法として多岐にわたる社会福祉関係法を発展させてきたので、複雑でわかりにくい。しかし、基本的な「しくみ」は単純化すれば無尽蔵と同じである。
 両者の間には見落としてはならない違いがある。それは、無尽蔵は尽きることのない「仏法」を背景に、真の人間救済を実現しようとするのにたいして、社会福祉は「法律」を根拠に人間を救済しようとするところの違いである。「仏法」は普遍の法であるが、社会福祉の「法律」は児童福祉法、老人福祉法にしても、いくら分化、細分化しても完備することはない。法律の隙間ができると、それを埋めるための法律がつくられ、幾重にも法律が社会福祉の骨組みとしてでき上がっていくという図式である。
 また、普遍の法は人間を暖かく包むのにたいして、社会福祉の法律は人間と人間の間に介入はできても、その距離を縮めることはできない。今や、人間がつくった法律によって人間の「孤立化」に拍車がかかっているのではないだろうか。
 ピカピカの社会福祉施設のなかで、人間不在の制度というサービスが行われるのであれば、私は御免こうむりたい、私は尽きることのない広大で無尽蔵な仏法に通じるところに身と心をおきたいと思う。

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