生涯学習講座

2007年度受講講座
『宗教と哲学-日本を代表する宗教哲学者の思想を知る-』

2007年度講座受講生/青山道郎さん

受講講座 宗教と哲学—日本を代表する宗教哲学者の思想を知る— 他多数

青山さん 写真

「人は何のために生きるのか」答えのないようなことを以前から考えていましたが、50代に入ると何がしかの答えを「こじつけ」でもいいから生み出そうと考えました。それで「感動する心を持つ」と定義してみました。感動する分野をたくさん持つことが必要になります。そのためには学ばなくてはなりません。なぜ感動が必要なのかを考えますと、生きていく上での「活力」と「内なる安らぎ」(※)を与えてくれるからだと思います。

この国では1年で3万人以上の自殺者があります。生命(いのち)が軽くなっており、忌わしい事件も頻発しています。産業界では「法律に触れなければ良い」、「バレなければ良い」と退廃した風土が垣間見えます。なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。

古代インド思想で人間は、学生期(がくしょうき)・家住期(かじゅうき)・林棲期(りんせいき)・遊行期(ゆうぎょうき)に分かれる規範があるとのことですが、家住期が過ぎるともう一度学生期にもどり、自分を見つめる機会を持つのはどうでしょうか。

純粋経験は直接経験と同一である、と西田幾多郎先生はおっしゃっています。さまざまな経験をしていくと、自分の無力を感じることがあります。そのときにわが身を絶対無限に委ねることで、「縁」が生まれます。私の場合、小学校から十数年勉強してきましたが、会得したものが何一つ残っていません。何故か。勉強=目的(魂胆)だったからです。私は大学でもう一度勉強することにしました。

大谷大学の開放セミナーに参加させていただき、平成19年度からは聴講生として通っています。大谷大学で感じることですが、清沢満之先生の建学の精神が今なお脈々と伝わっているように感じます。社会人にも門戸が開放されていますので、純粋経験を考えてみてはいかがでしょうか。私の実体験では効能がありました。

(※)「内なる安らぎ」
『ブッダのことば スッタニパータ』(中村元訳 岩波文庫 2002年 第11刷)より引用 Sn837 「わたくしはこのことを説く」、ということがわたくしにはない。諸々の事物に対する執著を執著であると確かに知って、諸々の偏見における(過誤を)見て、固執することなく、省察しつつ内心の安らぎをわたくしは見た。