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Home > 読むページ > 人間・清沢満之シリーズ > 自己とは何ぞや

人間・清沢満之シリーズ

人間・清沢満之シリーズ - [08]

自己とは何ぞや

「自己とは何ぞや」
村山 保史(准教授 哲学)

 1898年5月、清沢は妻やすと子どもたちの待つ西方寺に、父の永則とともに入っている。

 永則を西方寺に入れることには決心を要した。これまでここで呼び慣わしてきた清沢満之の清沢姓は、じつは彼が婿養子になることで得たものであった。やすは娘ばかりの清沢家の次女であり、長女に代わって跡継ぎをとったのであるが、満之が養子になることを巡って清沢家と剛直な性質の徳永(とくなが)永則には確執があったのである。

 満之が西方寺に入った頃には義父の厳照(ごんしょう)が住職として存命であり、三女と結婚して婿養子になった法賢(ほうけん)が住職を手伝っていた。厳照は六尺近い体格であり、法賢は整った顔立ちであった。門徒からすれば、浅黒くて頭ばかり大きく「五尺に足らず、十貫目に満たぬ」満之はいかにも貧弱であり、見栄えがしない。おまけに結核を患い、説教も難しい。

 改革運動では宗門のためにすべてを投げ打った清沢であったが、宗門全体はおろか、身近な門徒にとってすら彼は無用の存在であった。門徒たちはやすを離縁させようと相談し、法事に来た清沢を追い返す家さえあったという。「私が居らねばならぬという必要は此(こ)の寺に於いて毛頭無いのだから、真実の厄介者である」。8月からはじめた日記には、「無用」を意味する「臘扇(ろうせん)」の名がつけられている。

 家族の対立、門徒からの白眼視、病身——ままならぬ状況に生きるすべを求めて清沢が読んだのは『阿含経』と『歎異抄』、The Discourses of Epictetus(『エピクテタス語録』)等であった。『阿含経』からは修養の意義、『歎異抄』からは修養の目的としての信仰、とりわけ当時好んで読んだ『エピクテタス語録』等からは自己省察による分別(ぶんべつ)を修養の方法として学んでいる。

 制御できる自分のものと、制御できない自分以外のもの(死や自分の身体を含む)を自己省察によって区別し、両者の混同を除去して恐怖から自由となった心の平静(アタラクシア)を哲学者エピクテタ(ト)スが求めたように、清沢も自己省察を行う。35歳になった清沢は『臘扇記』に改めてこう書いている。「自己とは何ぞや。是(こ)れ人世(じんせい)の根本的問題なり」。

(『文藝春秋』2013年12月号)

※12月に発売される『文藝春秋』2014年1月号のタイトルは「浄土」です。

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