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きょうのことば

きょうのことば - [2020年07月]

意志の大いさは絶望の大いさに正比する

「意志の大いさは絶望の大いさに正比する」
北條民雄「いのちの初夜」(『定本 北條民雄全集』上 東京創元社 33頁)

  北條民雄(1914-1937)は、18歳でハンセン病と診断され東京の全生病院(現在の多摩全生園)での隔離生活を余儀なくされます。自らの経験から「いのちの初夜」という短い作品を川端康成の助力を得て1936年に発表します。しかし翌年には結核により23歳という若さでその生涯を閉じました。

  この小説では、ハンセン病の診断を受け心が揺れ動く尾田という青年の姿が巧みに描き出されています。絶望して命を絶とうとしますが、死ぬことができません。「俺には心が二つあるのだろうか。俺の気づかないもう一つの心とは一体何ものだ。・・・・・・ 俺は、もうどうしたらいいんだ。」死ぬことも生きることもできないのです。

  さて、釈尊の生涯を語る仏教文献のなかで、青年ゴータマ・シッダールタは老病死を見たと語られてきました。老病死は、この世に生を受けた人間からあらゆるものを引きはがしてしまいます。その意味で老病死は最大の苦悩です。しかも、究極的には、能力によって、努力によって、老病死を超えることはできません。人間として生まれたら避けることはできず、ただ受けとめるしかないからこそ、そこに悲しみの根っこがあります。老病死に直面することは未来が閉ざされる経験です。「苦悩に直面してもなお歩むことができるのか」「この世界に生まれてきたことを喜ぶことができるのか」これが青年シッダールタの問いであったと理解してよいでしょう。また、青年シッダールタは城壁の外に出たときに沙門を見たとも伝えられています。沙門とは求道者です。道を求める者の姿に接して大いに歓喜したと仏典は語ります。絶望したはずの青年の心に何が映し出されたのでしょうか。老病死によって未来が閉ざされたと思われたけれども、道を求める者の姿を見て喜べる心があったことが物語られているにちがいありません。苦悩によっても閉ざされることのない未来を求めている自分がいたことを、絶望の淵に立ってはじめて発見することができたのです。もちろん、その時点でゴールが見えていたわけではありません。それでも歩み始めてみようということだけは定まったのです。これが青年シッダールタの大いなる一歩だったと仏典は語っているのでしょう。

  「いのちの初夜」のなかで、佐柄木という人物が尾田に対してこう語ります。「あの人達の『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。・・・・・・ けれど、尾田さん、僕等は不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、・・・・・・ 再び人間として生き復(かえ)るのです。」さらに、こう付け加えます。「あなたの苦悩や絶望、それが何処から来るか、考えて見て下さい。」そして、この小説は次のようなことばで結ばれています。「尾田にはまだ不安が色濃く残っていたが、やはり生きて見ることだ、と強く思いながら、光りの縞目を眺め続けた。」

 北條民雄は、青年シッダールタと同じ問いを投げかけているように思えます。標題のことばに続いて、この小説の主人公である尾田は、生きる意志のない者に絶望などあろうはずがないではないか、とも語っています。北條は、絶望するほどの経験をしたからこそ、この世界に生まれたことを喜んで受けとめられるような生き方を願う心が自分のなかにあったことを発見できたと言おうとしたのではないでしょうか。

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