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Home > 読むページ > きょうのことば > 苦しみや空虚も、こうしてみると、願望の対象の在り方なのである。

きょうのことば

きょうのことば - [2020年02月]

苦しみや空虚も、こうしてみると、願望の対象の在り方なのである。

「苦しみや空虚も、こうしてみると、願望の対象の在り方なのである。」
シモーヌ・ヴェーユ(『カイエ1』 みすず書房 193頁)

  標題のことばを書いたのは、シモーヌ・ヴェーユ(Simone Weil, 1909-1943)というフランスの哲学者です。彼女はその短い生涯の終わり近くに古代インドの哲学に触れ、『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』などに深い影響を受けました。このことばもそこから生まれたものです。以下の説明ではウパニシャッド哲学の深い知見にまで触れることはできませんし、彼女の解釈には的外れなところがあるかもしれません。しかし、ここではそうした背景を少し離れ、このことばだけに集中して、それが意味することを考えてみましょう。

  ここでヴェーユが問題にしているのは、愛する人を失った時の、心にぽっかりと穴があいたような苦しみや喪失感です。前後の文を補ってみると、彼女は次のように言っています。「自分自身のうちへ下っていくと、人は自分が願い求めているまさにそのものを所有していることがわかる。[中略]苦しみや空虚も、こうしてみると、願望の対象の在り方なのである。非実在のヴェールを剥いでみると、それらの対象はそのようにして私たちに与えられていることがわかるだろう」。つまり、ヴェーユは、私たちの心の奥底には失ったはずの対象(愛する人)がたしかに存在していて、「その人がまさにそこにいる」ということが、消えることのない苦しみや空虚という形で現れていると言うのです。

  これを「グリーフ・ケア」と呼ばれるものを例に考えてみましょう。グリーフ・ケアとは、愛する者との死別に苦しむ人に寄り添い支えようとする現代の活動です(「グリーフ」とは悲嘆を意味します)。このケアの目標は、決して「悲しみを消す」ことではありません。「悲しみを消す」ということは、悲しむ人にとって、この世から消えた愛する者の存在を自分自身の心からも消し去るに等しいからです。その意味で、悲嘆は決して消えることはありません。しかし、この悲嘆とともになお生きていくことは、もしかしたら、自分の心の奥底に今もいる、消えることのない「愛する人」とともに生きていくことなのではないでしょうか。

  これは詭弁や屁理屈ではありません。愛する人を失った途方もない苦しみや空虚は、自分の心の奥底になお「ほかでもない、亡くなったその人がいる」ことの証拠です。グリーフ・ケアという困難な活動の根底には、愛する人がもうこの世にいないという刺すような痛みとともに(言い換えれば、心の奥底に今もいる愛する人とともに)生きていくことを肯定し、それを支えようとする姿勢があります。標題のことばは、このように生死の境を越えて人々がともにいられる、その辛いけれども稀有な可能性を私たちに示しているように思えます。

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