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きょうのことば

きょうのことば - [2020年01月]

物体は、より多くの仕方で触発される可能性があればあるほど、いっそう多くの力をもつ。

「物体は、より多くの仕方で触発される可能性があればあるほど、いっそう多くの力をもつ。」
ジル・ドゥルーズ(『ニーチェと哲学』 国文社 96頁)

  1980年代から90年代に世界でひろく読まれたフランスの哲学者にジル・ドゥルーズ(1925-1995)がいます。時代の先端を行くポストモダン思想の代表的人物として日本でも人気が高く、学術的な思想界に留まらず、文化や芸術、政治、経済など、ジャンルを横断して多方面で影響を与えました。流行思想の華やかなイメージをまとう一方で、ドゥルーズは西洋哲学の系譜に独自の視点から鋭く切り込む哲学史家の顔も併せ持ちます。ここで取り上げるのは、ドゥルーズのそうした一面を示す著作からの一節です。

  さて、標記のことばの主語は「物体」と訳されていますが、フランス語原文のcorpsは、「身体」の意味も持っています。ここでのドゥルーズは、スピノザ(1632-1677)の心身論やニーチェ(1844-1900)の「力への意志」を読み解き、かれらの哲学に共通する思考のエッセンスをこの一節で表現しているようです。スピノザによれば、物体=身体は、ひとつひとつが他と切り離されて、単独で存在しているわけではありません。たとえば、ひとつの磁石は、鉄との関係の中におかれて磁力が引き出され、磁石としての性質(様態)が現れています。木やプラスチックとの間では、単なる石ころか何かにすぎません。個々のモノや人がどのようであるかは、他の物体=身体との関係が先にあり、それに応じた性質が現れるのです。このことは磁石と鉄のようなモノ同士の関係だけでなく、モノと身体との関係でも同様にいえます。たとえば、お酒は飲む人の気分を高揚させる力になる一方で、別の人にとっては吐き気や眠気を催させる力にもなります。酔いの具合は、そのときどきの体調や食べ合わせによっても異なるので、お酒だけをみて、それが善いものか悪いものかを一概には判断できないというわけです。スピノザ的発想では、お酒は、飲む人の身体との関係の中に組み込まれたときに、薬にも毒にもなる多様体なのです。

  一人ひとりの身体もまた多様体として、多くの仕方で触発される可能性を潜在させています。現代はさまざまな刺激にあふれる社会ですが、人間の身体はそれらの刺激のひとつひとつに、ただ受動的に晒され反応するわけではありません。たとえば音楽の心得がある人は、そうでない人以上に音楽に強く触発され、情感豊かな経験を引き出せるでしょう。外国語に堪能な人であれば、外国語の書籍や会話からの刺激に触発され、変化に富む経験を引き出せるはずです。このようなとき、私たちの活動能力や生の喜びは増大しているのです。そのうえで、他者や自然との関係の中に組み込まれている私たちが、自らの活動能力や喜びの感情を高めるためにどのような組み合わせをもてばよいのか、その試行錯誤が重要となります。ドゥルーズは、ニーチェの「力への意志」をそのひとつの現れとして理解し、そこに現代的意義を見いだしたのではないでしょうか。というのも、流動的で将来への見通しの悪い現代社会では、臨機応変に多くの仕方で触発される可能性をもつことが、より多くの力を蓄えることになるからです。現代の教育が物事に柔軟に対処する知力や体力を求めるのも、触発される力を高めることを目指していると考えてもよいでしょう。

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