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Home > 読むページ > きょうのことば > 哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。

きょうのことば

きょうのことば - [2019年12月]

哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。

「哲学の動機は「驚き」ではなくして深い人生の悲哀でなければならない。」
西田幾多郎「場所の自己限定としての意識作用」(『西田幾多郎全集』第6巻 岩波書店 116頁)

  西田幾多郎(きたろう)(1870—1945)は近代日本の哲学者で、いわゆる京都学派の創始者とされます。西洋近代の哲学的手法を徹底的に学んだ上で、哲学と独自の仏教観を融合させ、独自の諸概念を産み出しました。その思想は今や日本のみならず海外の哲学者からも研究の対象とされています。

  さてこのように西田は独自の概念を産み出しながらも、常に一つのことを念頭に哲学という学問をしました。いったい西田は何を明らかにしようと苦しんだのでしょうか。西田はある作品の中で、標記のことばを述べています。これは西田の哲学上の研究対象の一端を明らかにしていると同時に、私たち一人ひとりが生きる上での一つの指標が示唆されていると言えるでしょう。

  哲学という学問が生まれた古代ギリシアでは、哲学者たちは、「驚き」から学問を始めました。目の前に存在するものがなぜそのように存在するのか、という素朴な疑問から学問を開始しました。それはとても重要なことであったと思います。人間が生きる上で、自然や社会の構造を理解しようと、分析・考察することは非常に貴重なことです。しかし私たちが生を営んでいる途上において、目の前の物があるということのさらに根底に、なぜ我々は存在するのか、なぜ悲しみや怒りを引き起こすような矛盾するこの世界で私たちは生きなければならないのかという根本的な問題に気付かざるを得ません。

  この事実は西田のみならず、古来多くの思想家や宗教家が気づいた事実であると思います。しかしこの事実に気付いた後、人間一人ひとりがどのように行動すべきと考えるかは、思想家によって異なるでしょう。たとえば全てを諦めて生きるべきと考える者もいれば、逆に欲望のままに強く生きるべきと考える者もいるでしょう。しかし私たちが現実に歩んでいる道は、この世で生きることを放棄しようとするのでも、この世で必要以上に満足を得ようとするのでもありません。むしろこの世界の矛盾に満ちた現実を熟知し、この世界で生きることに耐えることが求められるのではないでしょうか。この世界は矛盾に満ちているが、その事実を認め、この世界において勇気をもって生きていくことが重要ではないでしょうか。

  さらに言えば、自分の悲しみを感じることができても、他人の悲しみに気づくことが難しいケースが多くあります。発信や表明すらできない悲しみもあるでしょう。そのような悲しみに私たちが気づく時、単に一時的なうわべの支援をするのではなく、悲しみの只中にいる者が悲しみに耐えどのように生きていくかを共に考えていかなければならないでしょう。我々一人ひとりが不条理に満ちたこの世においてどのように生きるかは、一人ひとりに課せられた大きな課題と言えるでしょう。

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