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きょうのことば

きょうのことば - [2019年07月]

集めた一切の我が財産はこの土鍋 それが只今破れて教師となった

「集めた一切の我が財産はこの土鍋 それが只今破れて教師となった」
ミラレーパ(『苦行詩聖ミラレェパ ヒマーラヤ山の光』 日本蔵梵学会 250頁)

  チベット仏教カギュー派の行者ミラレーパ(1052–1135/1040–1123)は、宗派の別なく信仰され、多くの人から親しまれています。それは、彼の詠んだ宗教歌を伝記とともにまとめ、版木を彫って出版したばかりでなく、その内容を絵画化し各地に頒布したツァンニョン・ヘールカ(1452–1507)という人物によるところが大きいでしょう。

  ツァンニョンによりまとめられた伝記によると、ミラレーパは、亡父の財産を騙し取った叔父に復讐してほしいとの母の願いをかなえるため呪術を学び、その力によって多くの人を殺してしまいます。後悔の念に苛まれた彼は、インドで密教の教えを学んだマルパ(1002/1012–1097)の名前を聞き、「全身の毛が逆立つ」ほどの喜びを感じ、マルパのもとに向かいます。無理難題を押し付けられ、途中で逃げ出したりもしますが、最後には真の弟子として受け入れられ、口伝を授けられました。殺人という罪を背負いながら、救いを求めて悩み苦しむ人間臭さが、彼を魅力的なものにしています。その後、師の教えにしたがい、一人山に篭り瞑想修行に励みます。裸同然の姿で過ごし、食事としてはイラクサを煮たものだけで、体の色も緑色に変色したとされています。

  こうした厳しい修行の結果、神通力を得た彼は、利他行を行おうと考えますが、後世の人の修行の手本になるよう修行を継続した方がよいと考えます。また、神通力の成果を目にした人々にちやほやされて慢心してはいけないと考え、移動しようと出かけた際、体力が衰えていたためか、石につまずいてこけてしまい、イラクサを煮るために持っていた唯一の財産である土鍋が転げ落ちてしまいます。拾い上げようとして見てみると、土鍋は割れていて、中に詰めておいたイラクサが、土鍋の形になって転がっています。それを見て、あらゆる事物は常にうつろい、永遠に存在することがないこと、故にそうした事物に執着すべきではないという真理を実感的に悟ったのです。厳しい修行の中で求め続けた真理が、突然現出したわけです。標記の言葉は、その際に彼が詠んだとされる歌の一節です。興味深いのは、「土鍋が教師となった」という表現です。ここにはどのような意味があるのでしょうか。

  真理は私たちの生活の中にありますが、注意しなければそれに気付きません。しかし、常にそれを求めようと心がけていれば、日常のふとした事柄でも、それが機縁となり、様々なものが見えてきます。心と事物が感応し、真理を浮かび上がらせるのです。身の回りにあるあらゆることが、私たちにとって「師」となる可能性を持っている、この言葉にはそのような意味が込められているのではないでしょうか。

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