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きょうのことば

きょうのことば - [2019年03月]

何ひとつ永遠なんてなく、いつかすべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。

「何ひとつ永遠なんてなく、いつかすべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。」
長田弘(『長田弘全詩集』 みすず書房 518頁)

  標題のことばは、長田(おさだ)弘(ひろし)(1939-2015)の「世界はうつくしいと」という詩の最後の一節です。私がこの詩人を最初に知ったのは、

ことばって、何だと思う?
けっしてことばにできない思いが、
ここにあると指すのが、ことばだ。
  という別の詩の一節を通じてでした。その頃、ちょうど授業で「言葉」をテーマに教えていました。言葉とはいったい何か。それはものを指し示す「記号」でしょうか。たしかに、私たちは犬を指して「イヌ」と名づけ、目の前に本物の犬がいなくても「イヌ」という言葉(記号)で話ができます。それゆえ、言葉はとても便利なコミュニケーションの「道具」でもあります。

  しかし、言葉とは本当にそれだけのものでしょうか。そうだとしたら、私たちの世界はさまざまなものにべたっとラベルを貼りつけただけの、ずいぶんと平たく機械的な、奥行きのないものになってしまう気がします。思うに、言葉とはたんなる記号や道具ではありません。言葉はもともと「言葉にならないもの」との対において、人がその深い奥行きに触れることで現れてきたものです。詩人はその不思議な「言葉にならないもの」を、この詩の中で「世界のうつくしさ」として感じ取っています。「うつくしい」ということはもちろん言葉ですが、それは決して言葉にできないこの世界を超える何かが、この世界のさまざまなものを通じて一瞬現れる、その瞬間を捉えた言葉なのです。

  しかし、さらに興味深いのは「すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしい」と言われていることです。「塵にかえるけれども、うつくしい」ではありません。これはどういうことでしょう。ある種のはかなさや無常をうつくしく感じることは、私たちにとって馴染み深い感覚です。これはそういう意味なのでしょうか。

  私たちは自分がどこから来て、どこへ行くのかを本当は知りません。「塵にかえる」とはそういうことです。塵にかえる不安は、言葉でこの世界のすべてを説明し尽くそうと私たちを駆り立てます。しかし、詩人は塵にかえっていく世界をただ「うつくしい」とだけ言います。それは説明とは正反対の態度、この世界をありのままに、言葉にならないその深い奥行きとともに受け入れようとする態度です。「すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしい」とは、いつかすべてが塵にかえるこの世界を人が本当に受け入れた時にはじめて口をついて出る言葉なのです。とりわけ今の時代に、私たちはこの言葉を口にすることができるか、詩人はそれを問うています。

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