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きょうのことば

きょうのことば - [2018年07月]

弟子は、師が彼を弟子にしたので、弟子になったのではなく、弟子が彼を師として選んだから、彼は師なのです。

「弟子は、師が彼を弟子にしたので、弟子になったのではなく、弟子が彼を師として選んだから、彼は師なのです。」
シュライアマハー(『宗教について』 春秋社 140頁)

  シュライアマハー(1768-1834)は、近代ドイツの神学者で、プロテスタント神学を大成させ、「近代神学の父」とも呼ばれています。同時に哲学者、古典文献学者、教育学者としても高名です。このように幅広く活躍したシュライアマハーですが、その思想の根底は常に「宗教」にあります。

  『宗教について』(Über die Religion)は1799年に出版されました。当時啓蒙主義や合理主義が多くの分野にいきわたり、宗教的なものは教養人によって懐疑され蔑視されていました。しかしシュライアマハーは宗教の重要性を説きます。彼によると宗教の本質とは、「宇宙を直観する」ことにあるとされます。個々人の持っている感情や心情によってはじめて、宗教的自覚が目覚めます。確かに一度一度の宗教的な直観は有限で一回的ですが、そのなかに宇宙の無限性が潜んでいるとされます。ここに宗教の普遍性があるとされます。

  しかし同時にシュライアマハーは宗教を謙虚にとらえています。宗教的な直観は人それぞれ異なるものであるので決して自分の見方を絶対視してはならない、そして異なった見方が存在しうることを認めなければならないとしています。それゆえ宗教を体系化・組織化することに対して、常に慎重な姿勢をとっています。体系化・組織化された途端に、宗教は排他性を有するようになるからです。

  さてこのような宗教的な直観はどのようにして目覚めるでしょうか。それはあくまでも個々人の意識に基づかざるを得ません。誰かが「これが宗教だ」と他者を導くようなものではなく、一人ひとりが自分の生活や経験を踏まえて目覚めるものなのです。それゆえ教育によって宗教心を植え付けることは不可能とされます。

  標題のことばは師弟論を述べていますが、師と弟子との関係はこのような宗教観を基に述べられています。弟子は真理を探究しますが、決して師の意見を鵜呑みにしてはなりません。常に師の考えを批判的に吟味したうえで、その考えを自分のものとして内在化させなければなりません。弟子は自分の興味・関心に基づき、自分で納得できる解答を求めなければなりません。このようなシュライアマハーの師弟論は宗教のみならず、教育現場においても当てはまる考えでしょう。児童・生徒・学生の充実した学びの実現のためにも、教師の役割は重要です。彼らにとって教師は、「絶対的な導き手」ではなく、「共に歩む者」であることが重要でしょう。

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