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きょうのことば

きょうのことば - [2017年12月]

私は暗夜のなかにいる。

「私は暗夜のなかにいる。」
カミュ(『ペスト』新潮文庫 184頁)

  カミュ(1913-1960)は第二次世界大戦中に『異邦人』『シーシュポスの神話』などを著して、その活動を始めたフランスの作家です。標題のことばは戦後に書かれた『ペスト』という小説に登場します。ペストは「黒死病」とも呼ばれるきわめて致死性の強い伝染病で、カミュはこの病に襲われ閉鎖されたオランという都市を舞台に、そこで病と格闘するさまざまな人間の姿を描き出します。

  「暗夜」ということばにはもともと複雑な宗教的背景がありますが、ここでは小説の場面に集中しましょう。外部との接触を断たれた都市のなかで人々は次々と倒れ、悲惨と苦痛のなかで死んでいきます。そこには何の罪もない者や幼い子どもも含まれています。標題のことばは、最前線で病と戦うリウーという医師が「神を信じていますか、あなたは?」と問われた時の答えのなかにあります。リウーの答えはこうです—「信じていません。…(中略)…私は暗夜のなかにいる。そうしてそのなかでなんとかしてはっきり見きわめようとしているのです」。

  ここで「暗夜」とは神のいない闇を指しています。無差別に人間を襲うペストの不条理に対して、奇跡を起こして罪なき者を救う神はもはや存在しません。ペストはただ淡々とあらゆる人を殺していきます。その死にはもはや何の意味もありません。この不条理の闇のなかで人間はどうふるまうのか。リウーはそこから逃げずに「私は暗夜のなかにいる」と認め、何も見えない闇のなかで目をこらして誠実さを失わずに戦おうとする人物として描かれます。彼のペストとの戦いは、いわゆる「明けない夜はない」という希望のある戦いではありません。それは「際限なく続く敗北」であることを彼は知っています。また、それは何か高尚な理想や信念に支えられた戦いでもありません。彼を支えているのはただ「死ぬところを見ることには慣れっこになれない」という思いだけです。しかし、何もかもを麻痺させていくペストの暗夜のなかで、この単純でささやかな思いを保ち続けることはどれほどすさまじい戦いでしょうか。暗夜のなかでなお人間であり続けようとすることは、どれほど困難な努力でしょうか。

 この小説の面白さと恐ろしさは、カミュがペストを特別な経験だとは考えていない点にあります。「われわれはみんなペストのなかにいる」—つまり、暗夜はじつは今ここで起こっていることだと彼は言うのです。暗夜は、ひょっとすると他人事ではないのかもしれません。もしそうだとしたら、自分はそこでいったいどのようにふるまうでしょうか。カミュはこの重い問いを私たち一人一人に突きつけています。

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