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きょうのことば

きょうのことば - [2017年10月]

自己とは何そや 是れ人世の根本的問題なり

「自己とは何そや 是れ人世の根本的問題なり」
清沢満之「臘扇記 第一号」(『清沢満之全集』第八巻 岩波書店 363頁)

 標記のことばは、本学の初代学長であり、明治を代表する哲学者清沢満之(1863 - 1903)のことばです。35歳の清沢は、すでに当時不治といわれた結核にかかっていました。自分の思い通りに生きることがままならない状況の中で書かれた日記「臘扇記(ろうせんき)」に、この言葉が記されています。「臘扇」とは、「冬のおうぎ」つまり、役に立たないもの、無用なものという意味です。世間からは疎まれ、役に立たない厄介者という扱いを受けながら、清沢は、あらためて自らのいのちの意義をみつめ、問うたのです。
 
 私たちの社会は、ひとが生涯において何を成し遂げたかによってその価値が決まる成果主義的社会です。したがって、「あなたは何ができますか?」とつねに問われ、「自分にできることって何だろう?」「自分は何を成し遂げたのだろう?」と自分に問いかけなくてはいられないのです。しかし、自分の存在意味への問いが、ややもすると「わたしは、ここにいてもいいのだろうか?」という、存在資格への問いに陥ってしまいます。

 この意味で現代社会は、ひとの生の価値を他者より優れた何かにしか見いだせない社会であり、その資格の有無でしか自分自身の生の意味を問えない社会なのです。つまり、本当に他者より優れていることだけが人間の価値なのかと問う視点を持ち難い社会であり、それが私たちに生きづらさを感じさせているのではないでしょうか。

 清沢にとって「自己とは何か」という自分の存在理由の問いかけは、決して人間の現代的価値が要求するような問いで終わってはいません。自分の思いや、周りの評価よりも深いところで自分を支えているはたらきに出遇うことを通して、おかれた境遇を逃げることなく生きていける。ここに清沢は、自己の存在根拠を見いだしていくのです。清沢の場合それは、釈尊以来の仏教の伝統、直接的には浄土真宗の宗祖親鸞の教えによって獲得されました。

 清沢は、死を避けることが出来ない現実として見つめる中で、私たちが無条件に信頼している人間の智恵に対して疑問を投げかけました。そして、むしろそこに人智の闇を見たのです。私たちは、だれもが死を免れることが出来ない事実を理解していながらも、できるだけ先延ばしすることで、受け止めることを避けているのではないでしょうか。

 どのように人生を生きていくかは大切です。けれども、どういういのちを自分は生きているのかを真剣に問うことこそが根本的に大切なことであると、このことばは私たちに問いかけているのです。

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