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きょうのことば

きょうのことば - [2017年03月]

もしあなたが詩人であれば、あなたは何か美しいことをしなくちゃならない。それを書き終えた時点で、あなたは何か美しいものを残していかなくちゃならない。

「もしあなたが詩人であれば、あなたは何か美しいことをしなくちゃならない。それを書き終えた時点で、あなたは何か美しいものを残していかなくちゃならない。」
J.D.サリンジャー(『フラニーとズーイ』新潮文庫 36頁)

 詩人、いや私たちがなし得る「美しいこと」とは何でしょうか。原文では斜字体で強調される「残す」べき美しいものとは何を指すのでしょうか。J.D. サリンジャー著『フラニーとズーイ』(1961)で女子大生フラニー・グラスが語る上記の言葉は、週末のデートの際に恋人レーン・クーテルに向けて発されます。1950年代のアメリカ東部の大学で文学を学ぶ二人は駅で落ち合った後、レストランで食事をとり、午後の予定に備えるつもりでした。ところが、虫の居所の悪いフラニーは自慢気に小説の話を始めるレーンを知的優越性に酔いしれているようだと非難し、また同級生から教授陣にいたるまでの気取り屋たちのエゴにうんざりしていると打ち明けて、逆に彼女が考える「本物の詩人」の条件を問われてしまいます。彼女は決定的な返答は避けるものの、詩は文法的垂れ流しではなく、美しいものであるはずだと答えるのでした。

 詩人サッフォーやエミリー・ディキンソンに夢中で、哲学者エピクテトスからの引用で大学の黒板を埋めたりもするフラニーは一方ならぬ叡智への情熱ゆえに高等教育システムに対する「鼻持ちならない聖戦」を挑んでいるようなのです。彼女が目下傾倒している宗教書『巡礼の道』では、祈りは自律性をもち神秘的影響を及ぼすと説かれており、つまりは祈りによってものの見方が純化され、森羅万象について新しい概念を得られるのだと彼女は言います。料理を平らげた後コーヒーを嗜(たしな)むレーンは、フラニーの話の興味深さは認めつつ、宗教的体験は心理的背景から説明がつくのだと一蹴して、彼女に愛を告げます。食事の間、殆ど料理に手をつけていなかったフラニーは、これに応じられず、最後には気絶してしまい、自分を守ろうとするかのように祈りを呟きはじめます。

 大人になりたくないのか、それとも彼女なりのやり方で大人になろうとしているのか、フラニーには無垢と成熟の間の葛藤が見受けられます。俳優である兄ズーイは自分に似て世間を批判するフラニーの姿勢に共感しつつ、個人レベルで捉えるのは独善的だと彼女を諭します。ズーイは彼女に、芸術家たるもの、謙虚に他の誰でもない自分自身にとっての完璧さを目指すべきだと伝えます。確かに、フラニーの考える「美しさ」は、本当のところまだ敗れる経験さえしていない女子学生のひ弱な理想のように聞こえるかもしれません。それでも、彼女は貧富の差や序列化の前に人間が平等であり、自己中心的で、競争を強いる世界とは別のあり様があると信じているのです。フラニーの言葉には、純粋さを求める直向(ひたむ)きさや強靭さが伺え、それは芸術家に限らず、私たちが生きる現実に対峙するうえで思いのほか重要であるように思われるのです。

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