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きょうのことば

きょうのことば - [2016年06月]

如来の上に立脚地を有す

「如来の上に立脚地を有す」
清沢満之「清澤先生言行録」(『清澤全集』第三巻 無我山房 584頁)

 標記のことばは、清沢満之の教え子である安藤州一が清沢の教えと行実を記録した「言行録」の中の一文であり、苦悩からの解放の道を問う安藤に対し、清沢が語ったことばとして伝えられているものです。

 「如来」や「仏」というと、願いごとの対象、あるいは困ったときにすがる対象として理解されることがあります。実際に、清沢が生きた明治時代でも、一般の観念では如来はおすがりする対象であり、また、彼方にましますものと考えられていました。しかし、清沢は、如来を私たちの身勝手な欲望をかなえる存在としてではなく、自己の脚下に見いだし、様々な出来事に直面する世の中を生き抜く上での立脚地であると言うのです。

如来に憑(よ)るものは、如来の上に立脚地を有す
(如来を依り処とする人は、如来の上に人生を生き抜く立脚地をもつのです。)

 清沢は、自らの立脚地を特に阿弥陀如来の本願であると語ります。阿弥陀如来はどのような境遇にある者も分け隔てせず見捨てず救う仏であり、その本願は、優劣や有用無用という世間の価値観を超えて、どのような境遇にある者も決して見捨てられることのない尊さを有していることを、私たちにあきらかにしようとする願いとして経典に説かれます。

 このことばを語った頃の清沢は、自らを「臘扇(ろうせん)」(十二月の扇子(せんす))と号していました。寒い冬に扇子は必要とされませんから、臘扇とは役に立たない「無用者」の譬えです。臘扇と名のる前の清沢は、東本願寺の英才教育機関である育英教校に学び、東京大学では特待生として過ごし、二十五歳の若さで京都府立尋常中学校長に就任するなど、周囲の期待を一身に集める日々を過ごします。しかし、その後一転して宗門改革運動の責任を問われ、僧籍剥奪(はくだつ)の処分を受けることになります。また、結核の身であったことから家族にも迷惑をかけ、周囲には清沢を避ける人もあったと伝えられます。後に、妻子も結核にかかり、清沢より先に亡くなっていくという受け入れがたい現実にも直面することになります。

 私たちは、必要とされることもあれば、時に切り捨てられることもある世の中を生きていかなければなりません。清沢は、周囲から見捨てられたり、あるいは自分で自分を見捨ててしまいたくなるような状況にある者も、決して見捨てることなく生きる力を与えようとする如来の願いこそ、人生を支える確かな依り処であると、語りかけていったのです。

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