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きょうのことば

きょうのことば - [2015年12月]

自分でやること、人にやってもらうのではない。そこにはよろこびのいちばん深い意味がある。

「自分でやること、人にやってもらうのではない。そこにはよろこびのいちばん深い意味がある。」
アラン(『幸福論』、岩波文庫 159頁)

 アラン(1868-1933)は40年間リセ(高等中学校)の哲学教師を務めた人物です。彼は新聞に「プロポ(哲学断章)」を毎日書きました。彼は日々二時間で一気にプロポを書き上げ、修正することはなかったといいます。アランは、周りの人間は連載は骨が折れる大変な仕事だというかもしれないと前置きをしたうえで、自分が好きでやっている以上は、それは楽しみなのだと述べました。幸せは舌の上で溶けて美味しい砂糖菓子のようなものではなく、辛抱強く求めようと努めてはじめて与えられるものなのです。

 アランは、人間は快楽を求めるものだと一般にいわれるが、むしろ労苦を求めているのだと述べました。彼はギリシャの哲学者ディオゲネスが「もっともすばらしいもの、それは労苦だ」というのにならって、人間は労苦の中に幸福を見出すのだと考えました。人は外からの力に強いられることは欲しないけれども、自分からすすんで刻苦することは好むのです。彼は、行動し、自分の意志で労苦をつくり出すことがよろこびにかわりうることを示しました。

 さらに、アランは「楽しみは能力のしるしである」というアリストテレスの言葉を引用して、真の音楽家とは音楽を楽しむ者のことであり、真の政治家とは政治を楽しむ者のことであるといいました。小屋を建てる石工、畑を耕す農夫といった例を引きつつ、彼は「自分で自由にやる仕事」の大切さを説きました。何かをつくり出し、つねに学び続けることが私たちに幸福をもたらすのです。仕事は唯一のよろこび、それだけで満たされたよろこびであると彼がいうのは、仕事が能力を示すわざであると同時に、能力が育つ源でもあるからなのです。

 みなさんのなかには、自分が何を好むのか、何をしたいのかがわからないと感じている人もいるかもしれません。進路を選択するにあたって、不安と焦りに苛まれている人もいるでしょう。しかし、私たちが憂うべきは、選択の前に恐れをなして、労苦がよろこびにかわりうる瞬間を求めもせずにしまうことなのではないでしょうか。幸福は、報酬など全然求めていなかった者のところに突然やってくる報酬である、とアランは書きました。幸福は、過去や未来にあるのではなく、今この瞬間を生きる私たちの手の中にあるのです。

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