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Home > 読むページ > きょうのことば > 濁世の起悪造罪は 暴風駛雨にことならず 諸仏これらをあわれみて すすめて浄土に帰せしめり

きょうのことば

きょうのことば - [2016年05月]

濁世の起悪造罪は 暴風駛雨にことならず 諸仏これらをあわれみて すすめて浄土に帰せしめり

「濁世の起悪造罪は 暴風駛雨にことならず 諸仏これらをあわれみて すすめて浄土に帰せしめり」
親鸞「高僧和讃」(『真宗聖典』 494頁)

 標題のことばは、平安末期から鎌倉時代に生きた親鸞(1173~1262)が唐の時代に活躍した中国の高僧である道綽(どうしゃく)(562~645)を讃えるために作った歌(和讃)の一つです。このことばを、意味を補いつつ現代語訳すると、次のようになります。

貪り、怒りなどの煩悩に濁っているこの世において人間がつくる悪や罪は、ちょうど暴風や突然の豪雨のようである。諸々の仏たちはこの悲しい現実を哀れみ、いかなる存在も決して見捨てないと誓った阿弥陀仏の浄土に帰依させようとなさるのである。

 道綽の前半生は、隋、唐という強大な国家が中国にできる以前、様々な王朝がみずからの覇権を広げるために、激しい戦闘を繰り返していた時期にあたります。特に彼が生れ育ち修行した場所はいくつかの王朝が抗争を繰り返す地域であったために、彼自身が数多くの悲惨な現実を目の当たりにしたにちがいありません。それゆえに、道綽にとって戦乱などの悪や罪をつくり出す人間の問題は切実なものとならざるをえませんでした。

 上記のことばは、罪悪がさらなる罪悪をつくり出し、苦悩がさらなる苦悩を生み出していく人間のあり方を、暴風雨にたとえて表現しています。この内容は現代の人類の課題と無関係ではありませんし、日常の私たちのあり方をも照らし出すものです。例えば人類の歴史は、科学、技術の発展により人が手に入れた力が増すほど、それによってつくられる悪や苦しみも大きくなるという現実を教えています。また、日常生活において小さな諍(いさか)いから人間関係が複雑にもつれ、自分の居場所がうばわれているように感じるときは、激しい嵐に襲われるような、つらい現実の中を生きなくてはなりません。

 道綽は、このような現実をつくり出しながら生きる私達に、浄土の教えを根拠とする生き方があると語ります。浄土とは、あらゆる存在を平等に苦しみから超えさせたいと誓った阿弥陀仏の願いによって建てられた世界です。それは端的に言えば、誰一人見捨てられることのない世界といえます。そのような世界を根拠として生きるからこそ、人間がなす罪や悪がどれほど大きく、その中で生きる苦悩がいかに深くとも、その現実から逃避するのではなく、現実と向き合い、自らの生を全うしていく生き方が開かれるのではないでしょうか。道綽は、1300年以上の時を超えて、私たち人間を支える根拠となる教えが確かに存在することを伝えようとしているのです。

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