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Home > 読むページ > きょうのことば > 仏者は同時に二種の世界に住する者たるを要す

きょうのことば

きょうのことば - [2014年06月]

仏者は同時に二種の世界に住する者たるを要す

「仏者は同時に二種の世界に住する者たるを要す」
清沢満之「仏教者盍自重乎」(『清沢満之全集』第七巻 岩波書店 140頁)

 標記の言葉は『教界時言』に掲載された論稿「仏教者盍自重乎(ぶっきょうしゃなんぞじちょうせざるや)」に記されている清沢満之の言葉です。この論稿で清沢は、仏教者(僧侶)が自らの「本務」を見失っていることを歎き、仏教者が自らを重んじる姿勢をもち本務を大切にして生きるよう呼びかけます。その本務について清沢は、仏の教えを依り処として生きる者は同時に二種の世界に生きる者であることを必要とする、と語りました。これにはどのような意味があるのでしょうか。

 二種の世界とは世間と出世間(しゅっせけん)を意味します。世間は迷いの世界、出世間はさとりの世界のことですが、清沢はそれらを有限界と無限界という言葉でも述べています。

 清沢によれば、迷いの世界である有限界は、自分と他者とが個々別々に存在している、という考えに基づいて生きる世界を意味します。これには特に問題が無いように思われます。しかし清沢は、この考えに基づく生き方によって知らず識(し)らずのうちに自分にとっての都合の善し悪しや利害という観点で他者を見るようになってしまう、と言います。一方、無限界とは仏の智慧のはたらく世界です。仏の智慧によって自己と他者とが本来深い繋がりの中に生きている事実に目覚めることで、互いに敬いあいながら生きる清浄(しょうじょう)な世界を意味します。

 私達は他者との関わりの中で、人、もの、立場、名誉等、様々なことをめぐり、好ましい対象は奪いあい、嫌いな対象は他者に押しつけてしまうことがあります。また、利害が一致するときには他者を最良のパートナーと見なしますが、そうでないときには都合の悪い存在として排除しようとさえします。その営みの中で、他者との間に深い溝を掘り、高い壁を築きながら日々を生きているといえるでしょう。その意味で、私達は清沢の言う有限界の住者なのです。

 だからこそ、この現実を一歩も離れることなく、自らの生き方の愚かさを照らし出す仏の智慧を依り処とし、互いに敬いあう生き方を実現することに、有限界にありつつ同時に無限界の住者として生きるという意義があります。

 清沢の言葉は、元々は本務を見失った仏教者に対して呼びかけられたものです。しかし、身近な人との関わりにおいて、様々な問題を抱えながら生きる私達に、他者とともにあることの意義深さに思いをいたし、人間関係を豊かなものとする生き方を教える言葉としても受けとめることができるでしょう。

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