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きょうのことば

きょうのことば - [2014年05月]

そのかごを水につけよ

「そのかごを水につけよ」
『蓮如上人御一代記聞書』(『真宗聖典』871頁)

 新しい年度が始まって一か月が過ぎました。新入生の皆さんはもちろん、在学生の皆さんも、それぞれ様々な新しい出会いを経験したことと思います。
 新しい友人や先生との出会いは楽しみなものですが、時として、つらく大変なものともなります。それは、出会いというものが、それまで自分が作り上げてきた物事を判断するものさしや、他者に対する接し方、様々な生活のスタイルなどを問い直してくるものでもあるからです。
 私たちは、いつしかそうした人間関係や環境の変化にしたたかに順応し、新しい出会いを受け入れてゆきます。しかし、時には、その変化になかなかなじめず、苦しい思いをすることも少なくありません。

 冒頭の言葉は、室町時代の浄土真宗の僧侶、蓮如(れんにょ)(1415~1499)が述べたものです。ある人が蓮如に、「私は、仏さまの教えを聴いている時は、なるほどその通りだ、ありがたいことだ、と思っているのですが、すぐにそのような気持ちを忘れてしまいます。まるで、穴だらけのかごで水を汲もうとしているようなものですね。」と言いました。するとそれに対して蓮如は、「かごで水を汲もうとするから大変なのではないかな?かごを水に漬けるような気持ちでいたらどうかな?」と言ったというのです。
 この会話はどういうことをあらわしているのでしょうか。

 ここでいう仏さまの教えとは、私たちの心が、自分中心のものさしを持っていることを教えてくれる存在です。ある人は、そうした自分の心の問題を知らせてくれる存在の大切さをせっかく感じても、すぐに忘れてしまう、と言うのです。これに対し蓮如は、そうした大切な存在を、自分の内側に取り込もうとするからつらくなるのだとし、自分のそれまでのものさしが間に合わないと教えてくれた存在の中に、ただ身をひたすような気持ちで接すればよいのではないか、と語っています。

 新しい出会いの中で感じる様々なつらさや大変さも、多くは自分と他者との考え方、ものさしの違いに原因があるように思います。だから、人は時に新しい出会いに身構えてしまうのでしょう。しかし、これまでの自分を問い直してくる様々な他者の存在の大切さに耳目(じもく)が開かれ、素直に頭が下がった時、私たちは、ものさしが間に合った時よりもずっと大きな安心、有意義な出会いを感じることができるように思うのです。「そのかごを水につけよ」。蓮如は私たちに、ほんの少し、勇気を持つように促しているのです。

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