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きょうのことば

きょうのことば - [2014年04月]

無一物の師、無邪気の弟子

「無一物の師、無邪気の弟子」
清沢満之「ソクラテスに就きて」(『清沢満之全集』第七巻267頁)

 標記の言葉は、大谷大学初代学長清沢満之が雑誌『無尽灯(むじんとう)』に掲載した「ソクラテスに就(つ)きて」という文章の一節です。清沢は、終生、ソクラテスを深く尊敬していましたが、特にその教育方法に共感を懐き、青年教育を行う際、彼の問答法を模範としたと言われています。清沢はこの文章の中で本当に実りのある学びを実現する教育とはどのようなものかを述べています。

無一物の師、無邪気の弟子、問難往復以て事理を討究する、是れ開発的教育に至当の方法たらずや。(教師と生徒の徹底した対話によってものごとの道理を明らかにしていく、それが、開発的教育に最も適切な方法です。)
 「無一物の師」とは何一つもたない教師という意味ですが、それは何も知らなくてよいということではありません。ここでは、教師が自らの立場や持論に固執することのないあり方を指します。「無邪気の弟子」とは、議論に勝つことや教師に認められることを学びの目的とするような、邪(よこしま)なこころのない生徒を意味します。

 清沢は、生徒に既成の知識を教え込む注入式の教育ではなく、対話と思索を大切にする開発的教育を重視しました。その対話の際、教師は無一物、つまり対等の立場で生徒に接することが必要であると言います。そうでなければ、結局は自らの知識や持論を生徒に押し付ける注入式の教育に陥るからです。生徒は知識を憶えること、教師と同じ考えをもつことを求められ、苦痛を感じ、学ぶ意欲を失っていく。それは物知りではあっても自ら思索する力をもたない生き字引を生み出すだけで、本当に実りある学びを実現することにはならない、と言います。

 清沢は各自の関心に応じて対話を重ね、その人格を掘り起こすことで、生徒が自ら思索し、ものごとの道理を問い続けていく力を培う学びを大切にしました。そのような営みによって獲得された知識、智慧こそ、本当に身についた実りある学びの成果であると言います。清沢は自由な思索と闊達な議論を中心とする学びを実践しました。清沢が教え子たちと共同生活を送った浩々洞(こうこうどう)は議論と大笑いの場であったと伝えられます。

 今年も、新たな学友を迎える季節となりました。清沢を初代学長にもつ大谷大学には、知識や技能を習得するだけではない確かな学びを大切にする伝統があります。本当に実りある確かな学びとは何か。この問いに対して、清沢の言葉は大切な示唆を与えているように思われます。

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