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きょうのことば

きょうのことば - [2014年01月]

内なる生命の脈動は死に至るまで清新さを失わない。

「内なる生命の脈動は死に至るまで清新さを失わない。」
シュライエルマッハー(『独白』岩波文庫 139頁)

 新しい年が始まりました。冬の清々しい空気の中で今年なすべきことを思いつつ、気持ちを新たにする人も多いことでしょう。
 その一方で、新年を迎えたということは、自分が一つ年を重ねたということでもあります。年を取れば取るほど、体力や気力が衰えていくのが常であり、新年の誓いを立ててはみるものの、実現せずに終わってしまうことも増えてくるでしょう。

 標記のことばは、ドイツの哲学者シュライエルマッハー(1768-1834)が、1800年の年頭にむけて著した『独白』という書物に記されているものです。「新年の贈り物」という副題が付けられたこの書には、彼自身の伸びやかな人間観や世界観が、率直かつ情熱的な筆致で描き出されています。

 「時計が打つとともに時が加わり、太陽が進むとともに年が積もっていく」。このように書き出すシュライエルマッハーは、時の流れとともに自分も年を取り、肉体が衰えていくことを事実として認めています。どんな人にとっても老いは必ず訪れるのであり、それを避けることはできません。

 しかし、精神についてはどうでしょう。シュライエルマッハーはここで、精神は使えば使うほどその活気が増すということに注目しています。なぜ精神は衰えずに活気が増すのでしょうか。これについてシュライエルマッハーは、智恵と経験こそが精神の若さを可能にすると述べています。

 シュライエルマッハーがあらわす人間観の中で注目すべきことは、年齢とは関係なく、智恵と経験をもたらすのが「青春の推進力と精神の清新な生命」であるという点です。彼は人間の姿を青年と老年とに二分化せず、むしろ一つの連続における発展であるととらえます。そして、肉体の溌剌(はつらつ)さとその衰えという推移は、すべて精神の発展に、つまり内なる生命の漲(みなぎ)りに結びつくと考えているのです。

 「私は眼の光が失せてゆき、金髪の間に白髪が萌(きざ)すのを微笑(ほほえ)みつつ眺める」とシュライエルマッハーは記します。その微笑みは、肉体の老いという事実を静かに認めた上で、その一方で内なる生命である精神が完成していくことを喜ぶ微笑みでもあるのです。
 精神の発展に資するような智恵と経験が新しい年にどれだけ得られるでしょうか。肉体の衰えや年齢という数字のみに振り回されず、内なる生命の清新さということに目を向ける時、いつにもまして充実した年を過ごすことができるでしょう。

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