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自分たちを害ねるために、より多くの知恵を働かせるのでしょう。

きょうのことば

きょうのことば - [2013年08月]

なぜ人間は、自分たちの幸福を確保するためよりも、<br>自分たちを害ねるために、より多くの知恵を働かせるのでしょう。

「なぜ人間は、自分たちの幸福を確保するためよりも、
自分たちを害ねるために、より多くの知恵を働かせるのでしょう。」
エラスムス(『平和の訴え』岩波文庫 81頁)

 歴史をふりかえると、人間がその知恵の力によって成し遂げてきた数多くのすばらしい発見や偉業が見出されますが、その一方で、知恵の力によって作り出されたものが人間の命を奪ってきたこともよく知られています。戦争はその最たるものでしょう。標記のことばは戦争に対する率直な嘆きのことばです。

 ルネサンス期の人文主義者で聖書学者でもあったエラスムス(1469-1536)は、『平和の訴え』(1517)において、「平和の神」が人々に語りかけるというかたちをとって平和の重要性を訴えます。この書において注目すべき点は、そこに「神の命令」という視点が設定されていないということでしょう。ここでは、「神が命令するので、わたしたちは争いをやめなければならない」という論法はとられていません。

 その代わりに「平和の神」は、身近な根拠を挙げることによって、人々の間の争いの無益さを説いて聞かせます。例えば、戦争で害なわれる人命や失われる街並みを想像するなら、そんな悲惨さを自ら進んで求める人などいない、と誰もが思うでしょう。「戦争は戦争をしたことのない者にこそ快い」とエラスムスはいいます。特にその指摘が向けられていたのは、自らの欲求の実現にのみ固執し、そのために人々を扇動し戦争へと駆り立てる為政者や宗教的権力者たちでした。指導者たちは自分たちの国や宗教のために戦争を始めますが、実際に戦争で害ねられる人々の悲惨な姿は、彼らには見えていません。

 本書の基底にある主張は、国境や宗教の違いで生じる人間同士の間の細分化がもたらす、ある種の「仲間意識」を問い直すことでした。「仲間であること」それ自体は否定されることではありませんが、「仲間」という区切りは、同時に「仲間以外」を生み出すことも、私たちは忘れてはなりません。

 「人間が一緒に仲よく暮らすためには、人間、、という共通の呼び名だけで、その上何がなくとも充分でありましょうに」(同書24頁)ということばに表れているように、国や宗教という区別は、人間全体から見るとちいさな区別に過ぎないとエラスムスは考えていました。生まれた国であるオランダにこだわることなくヨーロッパを横断する知識を身につけて活動したエラスムスは、人間が本来属すべき集団とは細分化された国や宗教ではなく、「人間そのもの」であると考えたのです。そして、人間の知恵は、そのことを考えて実行するだけの充分な力を持っているはずです。

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自分たちを害ねるために、より多くの知恵を働かせるのでしょう。

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