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きょうのことば

きょうのことば - [2013年03月]

外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり

「外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」
親鸞『正像末和讃』 (『真宗聖典』509頁)

 この言葉は、親鸞の和讃の一節です。その全文は次のようなものです。

五濁増(ごじょくぞう)のしるしには この世の道俗(どうぞく)ことごとく
外儀(げぎ)は仏教のすがたにて 内心(ないしん) 外道(げどう)を帰敬(ききょう)せり

(「五濁」とよばれるこの世の悲しむべきあり方が、いよいよ深刻化している証しには、僧侶として生きる者も、そうでない者も、誰一人として例外なく、表面上は、仏の教えを敬いながら、内心では、それと似ても似つかないものを敬っている。)

 「五濁」とは、時代が下るごとにはっきりと現われてくる、世の乱れ、人間の悲しむべきあり方を指します。私が生きている今、現在は、まさにそのような世の中になっているので、仏教と、仏教とは似ても似つかない教えとの違いが、はっきりしなくなってしまっている、というのです。では、仏教とそれとは似ても似つかない教えとは、どのように違うのでしょうか。

 仏教は、「内道=内観の道」、つまり私たちが自分自身をよく見つめ直してゆく道である、とされます。私たちは、普段は、自分を中心に置いて、そこから見えてくる周囲を利用し、それがうまくできない時には批判したり攻撃したりします。ここでは、そのような、自分自身を問わないままに、周囲をどうにかしようとするあり方が、「外道」という言葉で表現されているのです。

 大谷大学は、建学の精神に仏教を置いています。それは、あらゆる学問の根底には、自分自身、人間という存在そのもののあり方を深く見つめることがなくてはならない、という一点を大切にしているからです。別の言い方をすれば、たとえ仏教を学んでも、そのことによって、自分自身や人間のあり方が問われるということがなければ、それは仏教の学びとは似て非なるものになるだろうし、逆に、直接に仏教を学んでいなくても、その学びが人間や自分自身のあり方への根源的な問いにつながるものならば、それはそのまま「内観の道」として展開してゆく、ということだと思います。

 今年も、たくさんの卒業生が社会に出発してゆきます。親鸞は、この世の、人間のありようを「五濁」という厳しい言葉で表現しました。しかし、同時に彼は、そのような悲しみ歎くべき人間の姿、世のありようの中でこそ、あらゆる存在とともに生きることの大切さが実感されることを、生涯をかけて確かめ続けました。直接仏教を学んだ人も、そうでない人も、それぞれの分野で学んだことを通じて、ともに生きる世の、そして私自身のありようを、深く見つめ続けてゆきたいものです。

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