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Home > 読むページ > きょうのことば > 不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。

きょうのことば

きょうのことば - [2012年07月]

不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。

「不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている。」
『ダンマパダ』(『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫 26頁)

 標題は、『ダンマパダ』という、最も古い仏典の一つと見なされているものに伝わることばです。ここから読み取れることは、まず、人間はただ長生きすれば良いのではないということです。さらにその意味を突き詰めるならば、人生からある大事なものが欠落してしまった時、その人の生は、まったく無意味なものになってしまう危険性すらあると言ってよいでしょう。

 過去の偉大な宗教者や哲学者が、ただ生命を維持すればよいとは考えず、生きる意味を追求したことは、ギリシャの哲学者ソクラテスの例からもわかります。囚われの身にあった彼は、脱獄を勧める友人に対し、「大切なのは、ただ生きることではなく、善く生きることなのだ」と語り、脱獄を拒んで処刑されたと伝えられています。

 では、人はどのように生きるべきなのでしょうか。標題のことばには、不死の境地を見よ、とあります。仏教では、生きとし生けるものは、輪廻流転、すなわち生と死を繰り返して止まない迷いの境涯に置かれているとされています。しかし、釈尊は世に出て、そうした迷いの世界を超えた、完全な安らぎの境地の存在と、そこに至る道とを示されました。そうした境地が、ここでは「不死の境地」と呼ばれているのです。それは自と他、苦と楽、善と悪といった相対性を超えた世界です。つまり逆説的なことですが、自分を含めた現世的なものを完全に超越した、絶対的世界(あるいは存在)を理解し、それにつながることによって、現世での自分の生もはじめて意味をもつことを標題のことばは示しています。

 私たちにとって、毎日を一生懸命に生きることはもちろん大切です。しかし仏教が強調するように、この世のすべては移ろい、やがて滅びます。それにもかかわらず、その幻のような現世の生が意味あるものとなり得るのは、実は現世を超えた不滅のものが、いままさに私たちを照らしているからに他なりません。現代の我々はつい目の前のことばかりに気を取られがちですが、一方で、生きる意味を見失い悩んでいる人も少なくありません。日常生活のなかで、時には忙しい手を止めて、私たちの生を意味づけてくれるものに心を傾けることが大切なのではないでしょうか。

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