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Home > 読むページ > きょうのことば > 自己こそ自分の主(あるじ)である。

きょうのことば

きょうのことば - [2012年01月]

自己こそ自分の主(あるじ)である。

「自己こそ自分の主(あるじ)である。」
『ダンマパダ』(『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫32頁)

 標題は、『ダンマパダ』(法句経)第12章「自己」のなかのことばです。以下の文章はこのことばを含む全体です。

自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか?
自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。

 「自己をよくととのえる」とはどういうことでしょうか。それは苦を滅する手段である八正道(はっしょうどう)の実践です。すべてのものは縁起していると知り、欲望を離れようと思い、うそをつかず、悪をなさず、正しく生活し、悪業を滅する努力をし、正しく考え、正しく瞑想する。以上の実践によって、煩悩と苦が滅したとき、自分をよくととのえたことになります。そのときに「目的を達成する、徳行を達成する、明らかな智慧を獲得する、悩みのうちにあって悩まない、いかなる束縛をも断ち切る、すべての悪い生存領域を捨て去る、すべての苦しみから脱れる、ニルヴァーナの近くにある」とブッダは言います。

 さらに、ブッダは「自己こそ自分の主である」と言います。他人の善業を自分がもらい受けることはできません。自分の悪業を他人に引き取ってもらうこともできません。自分が行ったことの結果は自分にしか返って来ません。悪業の滅や善業の生起など縁起の受け渡しは自分から自分にしかありません。そして「得難き主」とは自分をコントロールすることは難しいということを言っています。

 同じ章でブッダはまた次のようにも言います。

みずから悪をなすならば、みずから汚れ、みずから悪をなさないならば、みずから浄まる。浄いのも浄くないのも、各自のことがらである。人は他人を浄めることができない。たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。

 ひとことで言えば、「自分のつとめに専念」することが大事であるとブッダは言います。これは「自分をよくととのえる」ということと同じです。自分のやるべきことを自分でやるという当たり前のことが、人間にとって実は最も難しいことなのです。しかし、苦しみから脱出することは誰にでもできることであり、その方法をブッダは八正道として説いています。

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