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きょうのことば

きょうのことば - [2011年01月]

死はあらゆる年代に共通のものである。

「死はあらゆる年代に共通のものである。」
キケロー『老年について』(岩波文庫 64頁)

 「人生80年」という長寿の時代が到来すると言われて久しいですが、日本の平均寿命の推移を見るならば、それは既に実現していると言ってもいいでしょう。
 もちろん、ここで言われているのはあくまで「平均」寿命であり、これより短い生を送る人も、長く生きる人もいます。平均はどこまでいっても平均なのであって、「誰もが80年の人生を生きる」という保証ではないということです。

 しかし、このことをよく分かっているつもりでも、実際のところ、死は老年になってから訪れるものであると考える傾向が私たちにあることもまた事実でしょう。老年とは「さまざまな力が弱っていき、できなくなることが多くなるような、死に近い年代である」という考え方です。

 このような一般的な考え方を鮮やかにひっくり返してみせたのが、ローマの政治家であり、多くの哲学的著作を著したキケロー(BC106-BC43)です。キケローはまず、老年に対して持たれているイメージの理由を次のように示します。

老年が惨めなものと思われる理由は四つ見出される。第一に、老年は公の活動から遠ざけるから。第二に、老年は肉体を弱くするから。第三に、老年はほとんど全ての快楽を奪い去るから。第四に、老年は死から遠く離れていないから。(同書22頁)

 キケローは以下のように反論をしていきます。第一に、老人は確かに若者と同じことをしているわけではないが、その代わりに思慮・権威・見識によって、公の仕事には関わることができると指摘します。第二に、老いても元気でいる人がいることからも分かるように、肉体の衰えが全ての老年に見られるのではないと述べます。第三に、快楽を追い求めないということは、それにとらわれる必要がないということであり、むしろ老年に対するほめ言葉であると論じます。
 そして最後に、死はあらゆる年代に共通のものであることを示します。永遠に続くものなどなく、人生もまたその通りであり、死とは航海を終えて港に入るような喜びですらあるとキケローは表します。しかし同時に、その死がいつ訪れるものであるかは誰にも分からないために、死への準備を怠ると平静な心ではいられなくなるはずだとも記します。

 魂の不死というプラトンの説をふまえて、キケローは死を怖れることは不要であると言います。むしろ、いつ訪れても不思議ではない死に対して準備をすることが必要なのであるということを、標記のことばは伝えているのです。

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