きょうのことば - [2009年09月]
「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。」
『ダンマパダ』 『ブッダの真理のことば・感興のことば』(岩波文庫19頁)
これは『ダンマ・パダ』(真理のことば)第5章「愚かな人」のなかのことばです。このことばを含む全体は次のような文章です。
「わたしには子がある。わたしには財がある」と思って愚かな者は悩む。しかしすでに自己が自分のものではない。ましてどうして子が自分のものであろうか。どうして財が自分のものであろうか。「愚かな者」とは無知な者のことです。無知によって欲望が発生し、欲望によって苦しみが発生し、苦しみのなかで人間は生きています。このような因果関係を仏教では縁起と呼んでいます。無知の内容は「自己が自分のものではない」ことを知らないことです。「自己」とは自分の身体とこころです。身体は、いつかは崩壊するものであり永遠不滅のものではありません。こころは無始以来の流れ(心相続)です。一瞬前のこころが現在に相続され、現在のこころは一瞬後に相続されます。この一連の流れがこころであり、こころという実体が存在しているわけではありません。
ところが、人間は身体やこころを永遠不滅のものと考え、実体視します。そして自分のものと思って執着します。しかし、それらはすべて一時的なものです。さらに自分のものでもありません。子も財も同じです。永遠に存在するものではありえず、いつかはなくなるものであり、自分のものではありえません。これらに欲望をいだき、執着し、悩み苦しむのが、無知な人間の姿です。
これに続く第5章は「賢い人」という章であり、そこでは次のように説かれています。
自分のためにも、他人のためにも、子を望んではならぬ。財をも国をも望んではならぬ。邪(よこしま)なしかたによって自己の繁栄を願うてはならぬ。(道にかなった)行ないがあり、明らかな知慧あり、真理にしたがっておれ。「知慧」とは悟りに至る知識のことです。「真理」とは法(ダンマ)です。法は、無知の滅から始まり苦の滅に至る縁起を内容としています。知慧、真理、法によって無知を滅し、欲望を滅し、執着を滅することによって、人間は苦しみから解放されると『ダンマ・パダ』(真理のことば)は説いています。