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きょうのことば

きょうのことば - [2009年05月]

今日の哲学教師が、教え子に料理を出すのは、教え子の気に入る味だからではなく、教え子の味覚を変えるためである。

「今日の哲学教師が、教え子に料理を出すのは、教え子の気に入る味だからではなく、教え子の味覚を変えるためである。」
ヴィトゲンシュタイン (『反哲学的断章』青土社 71頁)

 新年度が始まってひと月が経ち、大学生活にもだいぶ慣れてくる頃が5月です。さまざまな授業に出て勉強するうちに、授業を担当する教員たちの個性が見えてくるのもこの頃だと思います。

 現在はどこの大学においても、ファカルティ・ディベロップメント(授業や教育方法の工夫。FD)という取り組みがなされています。これまでの大学教育では、少なからず「学びたいひとが自分の力で学べばよい。教師は研究の最先端を講義すればよい」という風潮がありました。しかし、従来よりも多くの人々に大学教育が開かれている今の時代にあって、旧態依然とした放任式の教育のあり方を見直すことが求められるようになっています。FDにおいては教育の双方向性が強調されており、学生の興味がどのようなものかを捉えた上で授業や教育を工夫していくことが重視されています。

 冒頭のことばは、哲学者ヴィトゲンシュタイン(1889-1951)が記したものです。ここでいう「料理」とは授業や学問のことであり、「味覚」とは興味関心を意味していると理解してよいでしょう。
 オーストリア出身のヴィトゲンシュタインがイギリスに渡り哲学を研究し始めると、高名な学者たちが彼の才能を非常に高く評価しました。のちに博士号を取得するために提出された『論理哲学論考』はあまりに難解だったため、審査の教授陣に対してヴィトゲンシュタインが「心配なさらなくて結構。あなたがたがこの論文を理解しかねるのは承知しています」と慰めたという話も伝えられています。彼の論述の手法はこれまであったどの哲学の書物にも似ておらず、哲学の可能性を開拓するオリジナルなものでした。またその主張は、「ことばの用い方を正すことこそが哲学の使命である」というものであり、これは旧来の哲学の考え方から脱した、新しい興味関心を引き起こすような哲学でした。

 自分の好みに合った、美味しくてバランスのとれた「料理」を出してくれる授業も大切です。しかし、ヴィトゲンシュタインが提供したものは、味の好みそのものが一変されるような、今まで誰も食べたことのない「料理」であったといえるでしょう。FDが重視する教育の双方向性は間違いなく重要なことですが、同時にまた、自分の予想を遙かに超えた学問の新しい「味」に出会う楽しみがあるのも、大学での学びであるといえるでしょう。

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