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きょうのことば

きょうのことば - [1999年09月]

仏法は、一人居て悦ぶ法なり。

「仏法は、一人居て悦ぶ法なり。」
『蓮如上人御一代記聞書』『真宗聖典』 892頁

 蓮如(1415~1499)は、共に話し合いながら学びを深めていくという仏法の学び方を大切にしました。
 自分一人での考えや学びというものは、とかく独りよがりになりがちです。自分では気付いていない誤りも、多くあるのではないでしょうか。そんな自分一人では気付けない間違いも、他の人と話し合うことによって、気付かされたりします。また考えを深めていくこともできます。
 独りよがりにならないということは、仏法を学ぶということにおいては、特に大事なことです。仏法を学ぶとは、人生において本当に大切なことは何かを学ぶことだからです。それが独りよがりでいいわけはありません。
 だから蓮如は、共に話し合いながら学びを深めていくという、そんな仏法の学び方をとても大事にしました。そして人々に、「寄り集まって話し合いをしなさい」と、何度も何度も呼びかけていきました。そのような蓮如の呼びかけによって、寄り集まって仏法の学びを深めていこうとする集いが、数多く生まれました。その集いを通して人々は、時には厳しく、時には和やかに語り合いながら、お互いの学びを深め合っていったのです。               
 しかし、そのように多くの人々が集まる場所だったからこそ、他人の評判や評価を気にかけて、人によく思われるように振る舞ってしまうという問題も起こってきました。そのことについて『蓮如上人御一代記聞書』の中には、次のように述べられています。
 そこではまず、「もしも、周りの人から信心深い人だと誉められたくて、うれしそうに振る舞っているのなら、それは人によく思われたいという名誉欲(名聞)なのですよ。」と大変厳しい言葉が述べられています。そしてそれに続いて「仏法とは、周りの人から誉められるためにうれしい振りをするようなものではなく、自分自身にとっての本当の悦びとなるものなのですよ。」と教えられています。
 思えば私たちも、人によく思われたくて、自分を誇張したり、へりくだったりして、右往左往しているのではないでしょうか。いつも他人の評判や評価ばかりが気になって、その中で疲れ果てています。そんな私たちに対して、どうか本当の自分に出会って生きてください、そう呼びかけているのが仏法なのです。
 蓮如は、共に話し合いながら学びを深めることを大切にしましたが、その目的は、誰とも比べる必要のない、かけがえのない自分に出会って生きていくことにあったのです。そのような蓮如の大切な教えの精神が「仏法は、一人居て悦ぶ法なり。」と継承されていったのです。

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