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Home > 読むページ > きょうのことば > 一切の煩悩を如来の種となす。

きょうのことば

きょうのことば - [1999年05月]

一切の煩悩を如来の種となす。

「一切の煩悩を如来の種となす。」
『維摩経(ゆいまきょう)』「仏道品(ぶつどうほん)」『大正大蔵経』第14巻549頁

 日々の生活の中で私たちを悩ませ、苦しめるものを「煩悩」と言います。また子煩悩という言葉もありますが、この場合は子どもをとてもかわいがるというほどの意味でしょう。しかし、どれほど子煩悩な人であっても、どんな時でも必ず子どもをかわいいと感じているわけではないと思います。子どもが幼ければ幼いほど、同じ子どもの「かわいさ」と「悩ましさ」のギャップに困惑するのではないのでしょうか。
 子どもの無邪気さをかわいいと思う時もあれば、憎らしく思う時もあるのは何故でしょうか。その原因は、子どもの方にあるのでしょうか、それとも思う側の方にあるのでしょうか。おそらく、子どもの方では一心に親に愛情を求めて行動を起こしているに違いありません。そうだとすると、その行動をかわいく感じたり、憎らしく感じたりするのは親の方に問題があると言っていいと思います。従って、このように考えてくると「かわいい子ども」も「憎たらしい子ども」もいないことがはっきりしてくるでしょう。
 では、そのような子どもをかわいくしたり、憎たらしくしたりするのは一体何なのでしょうか。自分に余裕があって子どもを充分に受け入れることができる時には、子どもの無邪気さはこのうえない可愛さに見えます。それに対して、何かの事情があって急いでいる時や一人になりたいときの子どもの無邪気さはどうしようもないほどに憎しみの対象となります。このように考えてみると、かわいいと言っても憎たらしいと言っても、結局その時の都合によって左右されていることに気がつきます。このような私自身の内側の心の構造を見ようとしないで、子どもの方に原因を求めていけば正しい親子関係など築くことができないことは明らかでしょう。
 表題の『維摩経』の一節は、人間を悩ます様々な煩悩こそが返って自分の本当のすがたに気付いていくための大切なきっかけであり、それを種と言っているのです。私たちの人生において最も大切なことは、具体的な煩悩を通して自分の本当のすがたを知り、真実の人格を形成していくことです。だから「一切の煩悩を如来の種となす」と言うのです。

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