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きょうのことば

きょうのことば - [2008年07月]

よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。

「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします。」
『歎異抄』(『真宗聖典』P.640)

 毎年、その年にもっとも世間で流行した言葉が、流行語大賞として選ばれています。最近の言葉では、冬季オリンピックでの日本人スケーターの活躍により「イナバウアー」が、その前は「小泉劇場」「想定内」が選ばれています。流行語は、その年その年の世相を反映する言葉でもありますから、誰もが関心を持つことと思います。しかし、その一方で、流行語は、その時には誰もが知っていても、いつの間にか忘れ去られてしまう言葉でもあります。今あげた流行語も、「ああそうだったか」という思いを抱くように、先ほどまでは特に思い出すこともなかった言葉でしょう。
 それはなぜなのでしょうか。

 冒頭の文章は、親鸞(1173‐1262)が常に語っていた言葉として、『歎異抄』に伝えられている言葉です。この文の「そらごと」「たわごと」とは、「空言」「戯言」と書き、うそやいつわりの言葉、中身のない言葉という意味です。ですので、「世間には、うそやいつわりの言葉、中身のない言葉ばかりで、まことの言葉はないのですが、しかしただ一つ、念仏のみがまこと(真実)の言葉なのです」と親鸞は言っていることになります。

 親鸞は、師の法然から「ただひとすじに念仏して、阿弥陀仏におたすけいただきなさい」という言葉を受けて、それ以後「念仏」一つに生きた人でした。「南無阿弥陀仏」の念仏とは、仏教の智慧をよりどころにして生きることを表した言葉です。人生の暗闇の中をさまようように生きてきた親鸞にとって、29歳の時に法然から受け取った「南無阿弥陀仏」の念仏は、迷いの中に生きる自分の姿を照らし、生きる道筋を指し示してくれる言葉でした。だからこそ、ただ念仏のみが、自分の人生にとって「まこと」の言葉であると言うのです。

 では、流行語には人生を支えるような言葉の力があるでしょうか。その時はおもしろおかしくても、次第に忘れ去られていくのは、どうも私たちの人生と直接的に関わる言葉ではないからであると言えそうです。その一方で、世間には「そらごと」「たわごと」ばかりではなく、人を立ち上がらせ、支える力のある「まこと」の言葉があるのも事実です。親鸞はそれを念仏として受け取りました。

 私たちは人生を照らすそのような言葉に出会っているでしょうか。もしかしたら、私たちが大学の普段の授業で耳にしている言葉や、目にしている数多くの書物の中に自分の生きる道を明らかにしてくれる、かけがえのない教えがあるのかもしれません。それこそ「まこと」の言葉なのでしょう。
 そのような言葉に敏感になって学んでいくことが、大切なことだと思われます。

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