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Home > 読むページ > きょうのことば > 無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。

きょうのことば

きょうのことば - [2006年11月]

無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。

「無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。」
親鸞『教行信証』総序(『真宗聖典』 p.149)

 上に掲げた言葉は、親鸞(1173~1262)の主著である『教行信証』の冒頭にあります。「無碍」とは、何ものにもさまたげられないということです。「無明」とは、真実の智慧の明るさがないということです。ですから上の一文の意味は、

何ものにもさまたげられることのない阿弥陀仏のひかり(光明)は、真実の智慧がない人間の闇を破る太陽である。

ということです。阿弥陀仏の智慧の光明は、人間存在の奥底にある深い闇を破るはたらきをもつものであり、譬えるならば太陽の光のようである、と親鸞は述べています。 私たちは、人間の「チエ」を精一杯はたらかせて、物事を判断し、行動しています。その「チエ」とは、たとえば善悪や優劣などの価値観であったり、近代科学の物の見方やそれぞれの「宗教」の世界観であったりします。しかし、私たち人間の「チエ」によって物事を見通すといっても、本当に物事を見たことになっていないのではないでしょうか。人間が精一杯考えた末の正義や善意であったとしても、そこには多くの問題があるのです。

 例えば、戦争や暴力が正義の名において行われていることを、私たちはニュースを通して知っています。また、私たちの身近な問題に目を向けてみると、家庭や職場や学校のなかで、相手のためによかれと思って言ったり行っているが、実は相手の心を傷付けていることも案外多いのではないでしょうか。このように見てくると、私たちの「チエ」による物事の見方は、多くの問題をもった、不十分な見方であることが浮かび上がってきます。それは、決して真実の智慧による物事の見方ではないということです。

 それでは真実の智慧のはたらきとは、いったいどのようなことなのでしょうか。真実の智慧のはたらきは、ちょうど太陽の光がすべての存在に平等に降り注ぐように、どのような存在も分けへだてなく慈(いつく)しみ、平等に尊重するものです。その真実の智慧のはたらきに人間が出遇う時、自分の都合によって分けへだてをし、自他のいのちを傷付けている、人間の深い暗闇が初めて照らし出されてくるのです。

 人間存在の奥底にある闇は深い。しかし、人間の闇がどれほど深いものであろうとも、朝日が夜の深い暗闇を打ち破るように、真実の智慧は人間の闇を破り、人間の問題を真に明らかにする大いなるはたらきとしてあるのだ。このように親鸞は述べているのです。

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