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Home > 読むページ > きょうのことば > われらが知識のうちに失ってしまった知慧はどこか?われらが見聞のうちに失ってしまった知識はどこか?

きょうのことば

きょうのことば - [2006年09月]

われらが知識のうちに失ってしまった知慧はどこか?われらが見聞のうちに失ってしまった知識はどこか?

「われらが知識のうちに失ってしまった知慧はどこか?われらが見聞のうちに失ってしまった知識はどこか?」
T・S・エリオット(『T・S・エリオット詩集』p.105)

 詩人、評論家であったT・S・エリオット(1888-1965)は、米国に生まれ、ハーバード大学で哲学を専攻して、西洋哲学だけでなくインド哲学や仏教についても学び、大きな影響を受けました。当時ハーバード大学で開講されていた姉崎正治(あねさきまさはる)(1873-1949)による日本の仏教諸宗派の宗教哲学についての講義を聴講していたことも知られています。その後、エリオットは代表作となった長詩『荒地』を1922年に発表し、1927年には英国に帰化し、1948年にノーベル文学賞を受賞しています。

 彼が、詩作や評論活動を通じて追求した問題に、現代社会における伝統、文化、宗教の問題がありました。つねに新しいもの、変化を追い求めてやまない現代社会において、それらがどのような意味を持つのかを問うたのです。彼は、最初はユニテリアン派というプロテスタントの一派に属し、その後、インド思想、仏教思想の影響を受け、最後は英国国教徒となりました。その信仰遍歴にとくに示されているように、エリオットにとって文化、伝統の問題は、宗教の問題と切り離せないものとしてありました。1930年代以降の作品には、エリオットの宗教的な関心がさらに色濃く反映されていきます。

 冒頭のことばは、エリオットの『「岩」のコーラス』と題された詩劇の中のものです。この詩劇は、1934年に英国国教会ロンドン主教区の教会建設資金募集のために書かれたもので、教会や信仰のあり方についてのエリオットの理想や、それにもとづいた現代社会批判をそこに読み取ることができます。このことばにも、「見聞(information=情報)」や「知識(knowledge)」のうちで「知慧(wisdom)」が見失われているという現代の状況に対する問いかけがなされています。

 わたしたちは、日々大量の情報にさらされ、つねに人より先んじて新しい情報を手に入れようとして、自分に都合のよい情報だけに眼を奪われ、そこから確かな知識を十分に学び取ることが難しくなっています。また、さまざまな情報の中から、どこでも誰にでも使える普遍的な知識を見出し提供する科学技術の恩恵に浴していながら、発展する科学技術をどのように用いるべきかに戸惑っています。そこには、情報や知識を用いる判断の基準となる価値を見いだし、進むべき方向性に光を当てる知慧が欠けていると言わなければならないのです。

 エリオットは、情報を咀嚼(そしゃく)し知識を生かすための光となる知慧、わたしたちが人間として生きることの意味を明らかにし、生きることの支えとなる知慧をキリスト教の伝統の中に求めました。その彼のことばは、現代日本の状況の中で「知慧」を探求し伝統に学ぶとはどういうことなのか、という問いかけとなって、わたしたちに向けられているのではないでしょうか。

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