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きょうのことば

きょうのことば - [2006年05月]

人々を不安にするものは、事柄ではなくて、事柄についての思惑だ。

「人々を不安にするものは、事柄ではなくて、事柄についての思惑だ。」
エピクテトス(『世界の名著14 キケロ/エピクテトス/マルクス・アウレリウス』p.387)

 エピクテトスは、1世紀後半から2世紀前半のローマ帝国時代に生きた、後期ストア派を代表する哲学者です。彼は、小アジアに奴隷として生まれ、ローマで主人の許しを得てストア派の師に学び、自由の身になって後、ギリシャのニコポリスに移って学校を作り教育にあたりました。弟子のアリアノスが書き残した『語録』と『要録』が、エピクテトスの言行を伝える書として読まれてきました。大谷大学初代学長の清沢満之は、エピクテトスのことばに出あって、大いに共鳴するところがあり、『阿含経(あごんきょう)』『歎異抄(たんにしょう)』とならんでエピクテトスの『語録』を「余(よ)の三部経(さんぶきょう)」であるといっています。冒頭にかかげたのは『要録』に収められていることばです。

 私たちには、たとえば健康状態、経済状態、他人の評価といったような事柄が気になって、かえって自分の力を発揮できないということがあります。事柄の成り行きがはっきりと分からないということが、わたしたちのこころをざわつかせ、不安にします。自分のことを気にかければかけるほど不安は募っていきます。そして、思い通りにならない事柄に不安の原因を見るのではないでしょうか。

 それに対して、エピクテトスは、私たちの不安のほんとうの原因は、事柄そのものにあるのではなく、その事柄をなんとかしたいという私たちの「思惑」のうちにあるといっています。ほんとうは自分の力が及ばない事柄まで「私たちの権内にある」(自分の力でどうにでもできる)と思い違いをしているのだというのです。しかし、「私たちの権内にある」のは、身体や財産や評判などの外的な事情ではなく、私たちの意見や意欲である。だから、私たちがまず第一に気遣うべきことは、「私たちの権内にある」こととそうでないことをはっきりと区別することであり、さらに、「私たちの権内にない」ものへの誤った愛着を断って、自分の考えや意志を正しく用いることだというのです。

 それは、自分以外のことに無関心になれというのではありません。むしろ、自然や社会や他人といった事柄を正しく理解し、それらとのかかわりの中で人間として自然な本性に相応しく生きるために、自分の考えや意志を用いることをすすめているのです。それこそが、真に自分を気にかけることだというのです。

 現代社会では、複雑な分業や高度な科学技術によって、何でも私たちの思い通りになるかのように思えます。しかしかえって、ほんとうに自分を大切にし気遣うとはどういうことであるのかがわかりにくくなっているのではないでしょうか。「自己とは何ぞや」という問いを人生の根本問題とした清沢満之も、エピクテトスに共鳴しつつ、仏教の伝統の中でそのことを問うたのです。

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