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Home > 読むページ > きょうのことば > 涙こそが目の本質であり、視覚ではない。

きょうのことば

きょうのことば - [2006年04月]

涙こそが目の本質であり、視覚ではない。

「涙こそが目の本質であり、視覚ではない。」
ジャック・デリダ(『盲者の記憶』みすず書房p.155)

 「目は何のためにある?」と聞かれたら、どう答えますか?「それは、ものを見るためでしょう。」ほとんどの人はそう答えますよね。私たちの常識では、〈見る〉ことによって外界を〈知る〉ことが目の本質と考えられ、〈涙を流す〉というはたらきが忘れられがちです。みなさんは唐招提寺にある鑑真和上像をご存知でしょうか。俳人芭蕉は、目の見えないその慈悲の眼差しに心打たれ、「若葉して御目の雫ぬぐはばや」と詠んでいます。芭蕉がそこに見た鑑真の〈涙〉は、悲しみや喜びとともに人間に働き出る智慧を表し、「ほんとうに大事なのは知覚ではなく、智慧のはたらきだ」ということを私たちに知らせてくれるのではないでしょうか。

 フランスの哲学者ジャック・デリダ(1930-2004)も、「目の本質的な役割は〈見る〉ことではなく、〈涙を流す〉ことだ」と言います。デリダは、このように〈涙〉の意味を重く受けとめています。それは〈視覚〉を目の本質と考えるような常識に潜む差別性に対する批判でした。プラトンの有名な「洞窟の比喩」をはじめ、西洋の哲学ではずっと、ものを〈見る〉ことが真理を〈知る〉ことの隠喩(メタファー)として使われてきました。視覚に特権的な地位を与えてきたのです。しかし、ものを〈見る〉ことは真理を〈知る〉ことと同じではありません。それを安易に同一だとすることは、〈視覚〉に障害のある人は真理に暗いというようなひどい差別的観念を生み出すことにもなります。西洋の理性中心主義が生み出しかねない、こうした差別と排除の論理を、デリダは鋭く抉り出しているのです。

 ジャック・デリダは、1930年、当時フランスの植民地だったアルジェリアで、ユダヤ系の家庭に生まれました。旧植民地で生まれたユダヤ系フランス人という、二重三重の差別構造を背負って哲学者となったデリダは、〈脱構築〉という独自の方法を駆使しながら、西洋哲学の背後に潜むロゴス(理性)中心主義、男性中心主義、ヨーロッパ中心主義を根底から揺さぶるような思考を展開しました。晩年には行動する知識人として、人種差別や植民地主義を告発する活動に積極的に取り組みましたが、それは周縁に位置づけられ、無視され虐げられるものに共感した〈涙〉の行動だったといえます。

私たちの〈眼差し〉が〈涙〉に覆われるとき、〈視覚〉がとらえる表層の知の奥に、深く綾なされた意味の世界が開けます。埋もれていた文脈に光りがあたり、新たな意味に気づかされるのです。そこには、無数の〈他者〉とのつながりが顕わになります。だから人間を学ぼうとするものは、決してこの〈涙〉を忘れてはならない。デリダは、私たちにそう訴えているようです。

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