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きょうのことば

きょうのことば - [2006年01月]

われ存すということが不断の驚きであるのが人生である。

「われ存すということが不断の驚きであるのが人生である。」
(『タゴール詩集』彌生書房 p.77)

 タゴール(1861-1941)は、1913年にノーベル文学賞を受賞した近代インドを代表する詩人です。彼は、インドの伝統的な諸宗教のみならず、西洋の文化、思想をも吸収して、独自の宗教思想を展開しました。また、教育にも力を注いで、インドの独立運動に大きな影響を与え、第一次世界大戦から第二次世界大戦へと続く20世紀前半の世界に対して、人間の傲慢を批判し、東洋と西洋の、そしてあらゆる民族の融合・調和の可能性を追求しました。

 冒頭の言葉「われ存すということが不断の驚きであるのが人生である」は、世界各地を訪れたタゴールが1916年の日本訪問中に書きつけた短詩や警句を集めた『迷える小鳥』という詩集に収められています。この短いことばで、タゴールは何を言おうとしたのでしょうか。

 現代は、技術の進歩やメディアなどの情報によって次々に新しいものへの欲望が作り出されます。都市の生活に典型的なように、わたしたちは、そうした欲望の主体として、人間の手によってあらかじめ企画設計され加工されたものに取り囲まれた、人工的環境の中に生活しています。そのような生活の中では、自然の懐の中で感じられる驚異や畏怖の経験、ものや人との出会いに感じられる不思議さの感覚は、ますます縁遠いものとなっています。しかも、人工的環境の主人であるわたしたちの存在は自明のこととして省みられることはありません。

 それに対してタゴールは、わたしが存在するということこそが、驚きの連続であるというのです。数限りないいのちの絶えざるつらなりが、いまここにわたしとして生起しているという、このだれにも例外のない足下の事実の不思議さに眼を向けるのです。欲望の主体としてのわたしを越えた大いなる自然のはたらきに驚異を感じ取るのです。この驚きの経験は、人間を含む自然を、人間の操作の対象であり欲望実現の手段にすぎないとする者には訪れないでしょう。

 タゴールは、近代の科学技術文明の意義を認めながらも、それによって人間が自らの根源である自然、大地、生命とのつながりから切り離され、人間の自己中心性が無条件に肯定されていく世界の流れを批判しました。そして、自然と人間の調和を求め続けました。そうした探求の途上でタゴールは、悠久の生命の流れ、つらなりの中に「わたしが存在する」という驚くべき事実にこそ、人間の尊さがあるのだということを語ろうとしたのではないでしょうか。

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