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きょうのことば

きょうのことば - [2005年12月]

衆生病めば則ち菩薩も病み、衆生の病い愈ゆれば菩薩もまた愈ゆ

「衆生病めば則ち菩薩も病み、衆生の病い愈ゆれば菩薩もまた愈ゆ」
『維摩経(ゆいまきょう)』「文殊師利問疾品(もんじゅしりもんしつほん)」(『大正大蔵経』第14巻 P.544)

 ここに挙げたのは『維摩経』の「問疾品」(病気見舞いの章)の文です。『維摩経』の主人公維摩は、古代インドの商業都市ヴァイシャーリーで活躍した大富豪で、大乗仏教の理想的人間像である「菩薩」のモデルとして描かれています。

 『維摩経』は意外にも「病気」という題材をとおして大乗仏教の根本課題を明らかにしています。維摩はあるとき、大乗の教えを広める実によい方法を考えつきました。それは、彼自身が病気になるというものでした。つまり、維摩は、病気見舞いにくるであろう多くの人々と「病気」について語り合い、それを通して彼らを大乗の教えに導こうと考えたのです。上に挙げた文は、見舞いに訪れた文殊とのあいだでかわされた言葉です。維摩の病気はいつまで続くのか、いつになったら治るのかと文殊が質問します。それにたいして、維摩は

衆生が病気になるから、菩薩(私)も病気になります。衆生の病気が治るときに、はじめて菩薩の病気も治るのです。
と答えました。衆生の病気が続くかぎり菩薩の病気も限りなく続くのだ、というのです。

 ここにいう「衆生の病気」とは、愚かさや執(とら)われから生じる衆生の迷い・苦しみのことです。一方「菩薩の病気」とは、その衆生をどうにかして苦しみから救い出そうと願い、思い煩い、心をくだき、懸命に奮闘する菩薩のありかたをいいます。『維摩経』では、そのような菩薩と衆生の関係を、親と子の関係になぞらえて説明しています。すなわち、最愛の子どもが病気になったら、親も心痛のあまり病気になってしまうが、その子が回復すれば、親の病気も治る。衆生にたいする菩薩の愛情の深さは、子どもにたいする親の愛情の深さにも等しい、と説かれます。

 親と子は互いに異なった存在ではありながらも、不可分な関係にあります。同じように、菩薩にとってあらゆる衆生は、同じいのちでつながる存在であり、衆生の痛みがそのまま菩薩の痛みでもある、というのです。維摩の言葉には、他者の痛みに深く共感し「共に生きる」世界の方向性が端的に示されています。

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