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Home > 読むページ > きょうのことば > 仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう。

きょうのことば

きょうのことば - [2004年01月]

仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう。

「仏は常にいませども、現ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもう。」
『 梁(りょう)塵(じん)秘( ひ)抄(しょう)』(『梁塵秘抄』岩波文庫 p. 16)

 ここにあげた歌は、『梁塵秘抄』に収められている 今様 ( いまよう ) (平安時代の流行歌謡)の一つです。『梁塵秘抄』とは後白川院( 1127 ‐ 1192 )が選んだ今様集ですが、その中には仏教をテーマとしたものが多く含まれています。

 この歌の第一句「仏は常にいませども」は『 法華経 ( ほけきょう ) 』の「 如来 ( にょらい ) 寿量品 ( じゅりょうぼん ) 」によりながら作られているとされています。釈尊は八十歳にしてクシナガラの地で入滅したと伝えられています。しかし「如来寿量品」では、釈尊は永遠の寿命を持ち、その入滅は衆生救済のために示された方便にすぎないと説かれています。釈尊は常にこの世に住し、すべての人々を救おうと法を説いていると言うのです。それは苦悩する人がいるかぎり、仏の衆生救済のはたらきが続くことを比喩的に表現したものです。

 しかしいくら経典に、仏は常に世界にとどまり衆生救済のためにはたらくと述べられていても、仏に会うことは容易ではありません。会いたくても会えない深い悲しみを、この歌の第二句では「現ならぬぞあわれなる」と表現しています。それにもかかわらず、人生に悩む多くの人々は、仏に会い、苦しみを乗り越えて行くことを願って止みませんでした。その当時、このような切実な願いを持つ人々は、霊験あらたかとされる寺院などに籠り、夢を通じて仏に出会うことを期待したのでした。この今様の第三・四句では、夜を徹して祈り続けた後、夜明けに夢の中でほのかに仏を感得した場面が歌われています。

  現代に生きる我々にとって、仏から教えを授かった夢を見たとしても、それは神秘的で特異な体験としてしか受け止められないでしょう。しかし当時の人々は、自分たちが常に仏に念じられていると実感して、なんとか仏に出会い教えを受けようと勤めたのでした。そもそも仏とは、すべての衆生の救済を求めて、永遠にはたらき続ける智慧と慈悲を本質としています。そのような智慧と慈悲がはたらき続ける限り、今日も仏の救済に出会うことができるでしょう。

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