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きょうのことば

きょうのことば - [2003年09月]

身を観ずれば水の泡消ぬる後は人もなし

「身を観ずれば水の泡消ぬる後は人もなし」
『一 遍 上 人 語 録』『日本思想大系』第10巻 P.290

 鎌倉時代に活躍した浄土教の僧侶の中に、後に時宗の開祖として仰がれるようになる一遍(1239-1289)がいます。彼は出家して以後、独特の踊り念仏を行いながら、遊行聖(ゆぎょうひじり)として全国を歩き回り、人々を教化してゆきました。
 
上に挙げた言葉は、一遍が著わした「別願和讃」の冒頭に見られるものです。この「別願和讃」は一遍の伝記である『一遍聖絵(ひじりえ)』に見え、後に『一遍上人語録』にも収録されたものです。

身を観ずれば水の泡 消ぬる後は人もなし
命を思へば月の影 出で入る息にぞ留まらぬ
この和讃のなかで一遍は人間の無常について深い嘆きを表明しています。この身は川の流れに現われては消える泡に、この命は月の光に照らされてできる影に喩えられています。水の泡や月の影のように人間の一生は永遠に続くはずはなくいつかは終わりを迎えざるをえません。同様に一生をかけて築きあげた名声や、苦労をして蓄積した財産なども、いつ消えてなくなるか分かりません。
 一遍は幼くして人生の無常に気づきました。『一遍聖絵』には十才の時、母を失い、はじめて無常の理をさとったと述べられています。また一遍は伊予国(いよのくに)の豪族である河野氏の出身でした。祖父の通信(みちのぶ)は、河野水軍の一員として、源義経らを助け壇の浦で平家を滅ぼし、戦乱後は伊予で主要な武将の一人となりました。しかし河野氏が承久の乱で朝廷方に味方したため、一族の多くは流罪の刑に処せられたり、領地を没収されたりして、不幸のどん底に転落してゆきました。このような一族衰退のなかで生まれた一遍が、世の中の無常を痛感したことは、容易に想像できます。
 一遍によると人間の苦の根源は、無常なるものに執着することにあります。ですから、苦から解放されるためには、一切の執着を捨てきらなくてはなりません。先に述べたように、一遍は出家以降、一定の場所に住むこともなく、遊行聖として日本中を旅して歩き回りましたが、このような生き方は、一遍にとって一切の執着を捨てる実践行に他ならなかったのです。

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